受け入れコストはマインドセット次第で悪化する

どうも、今一つな体調で。風邪が抜けきらないというか、その物なんだけれど。昨日、外に出て冷たい風にあたったからかな。
私生活でも仕事でもマインドセットってとっても大事。自分の行動を左右する。行動を左右するから導かれる結末にもかなり影響する。だから、マインドセット大事なんだ。


いつもカリカリしていて怒りっぽい人は、(腹の中はどう思っていても)ニコニコしているヒトより誰が見ても好ましい結果が得られるわけがないし、相談されてネガティブな意見を言う人に頼むより、たとえできなくても別案を見出そうとする人が好まれる。まぁ、あたりまえですわ。人は、自分の都合の良い人に顔が向くものだからね。


受け入れコストってなに?
ワタシ自身、今置かれている環境を自分都合や外的都合に関わらず変えないといけないとき、その都合から想定される結果が望ましくなさそうなら、とてもいやな気分になる。


例えば、新しいこの仕事もやってよ、って言われて、それが、何のためにするのかまったく事情が分からなかったり、自分が望むような仕事でなかったら、「そんなの他の誰かに頼んでよー」って思う。しかし、頼んできたのがエライおじさんなら嫌って言えないし。それが「そうだよね。」と腹に落ちなければとても嫌だから、納得するか代替案を探し出せるまでとても不快な時間を払い続けなければならなくなる。それを

“受け入れコスト”って称している。


コントロールできなければできないほど“受け入れコスト”は高くなる
自分に都合が良いことは棚からぼた餅的なラッキーな話だから、受け入れコスト=ゼロになる。ところが、想像もしていない出費を強いられるとき、それが誰の都合なのかによって振り回される気分がだいぶ変わってくる。自分の都合ならまだ、「仕方がない。」と早期に結論付けることも可能だし、妥協案を捻り出して落としどころを見つけることも、自分のコントロールの範囲で何とかなる。
しかし、外的都合で自分の何かを変えないといけないとき、それを受け入れるまでに悶々とする時間を費やすことがある。これがとてもうっとおしい。問題が手に余ればあまるほど、自分でコントロールできなければできないほど、心理的に負担が掛かる。そのことがなければ費やさなくていい時間を消費し、体力も失うこともないし、そのことがなければ払う必要のない見えないコストを払う必要もなかったのに。


時間が掛かりすぎても“受け入れコスト”は高くなる
じゃあ、大したことはないけれどちまちまとしたことなら、それほど“受け入れコスト”は高くないよね?と言えば、そりゃ、小さくたって長くなればチリツモなんだから良いワケがない。外部都合による“受け入れコスト”って、自分でコントロールできない分とても振り回されるから精神的に辛いものだ。だって主導権を持てないんだから。
そうだとするならば、例え“受け入れコスト”が小さくてもその時間が長引けば、トータルでは無視できないモノになるし、かえってじわじわ浸食される分、精神的に危ない。



“受け入れコスト”を少なくするマインドセットとの付き合い方
“受け入れコスト”は少ない方がいい。外的都合の“受け入れコスト”なら当然の帰結として。なら、どうすればいいか。マインドセットと上手く付き合うしかない。じゃあどうするかって?

一つ目は、外的都合がどこまで自分でコントロールできるかを最優先で把握すること。
二つ目は、コントロールできない部分は誰と交渉すればいいかを押さえること。
三つ目は、情報を押さえ、何度も落としどころを考えること。


外的都合で自分がどこまでコントロールできるかは、どこまで頑張ればいいかを知ること。コントロールできないことまで頑張っても何も得られない。でも、コントロールできるとこまでは頑張らないと望むとおりにならない。自分の望む結果にならないなんて、それは希望しないことだ。


外的都合の内の幾らかがコントロールできるとしても、誰と話せばいいのか知らなくて、間違った人と話していればそれも期待する結果に結びつかない。だから、誰と交渉でも相談でもすればいいのか、判断する権限を持つ相手を押さえないといけない。


そして、可能な限り情報を取りに行き、何度となく限られた条件の中で落としどころを考えることが大切になる。もともと、外的都合の自分でコントロールできないことが自分に降りかかってきていて、それを“受け入れコスト”としてすでに払い始めているのだから、それはできる限り早く打ち止めしたいものだ。でも、今垂れ流し続けている“受け入れコスト”は払い過ぎかもしれないんだ。だから、情報を自らの手や足を使って取りにって、自分の思考で整理して、話すべき相手と話し、自分の中で整理しなければならない。今よりは少しでも良くなるかもしれないし、更に悪い結果になるかもしれない。でも、やらないといけないことをやっておいて、例え悪化するにしていても先に想定しているならそのときまでに何等か準備はできることもあるかもしれないし、少なくともビックリはしないだろう。