仕事場に引きこもるエンジニアの存在価値はあるか

組織内イベントの交流会で
組織の中でイベントがありましてね。色々な部署からひとがちょっとずつ集まるのですよ。テーマがあってそれの発表会なので、話題はその延長線上がバトルフィールドになるのね。


で、中堅のエンジニアくんが言うんです。「ワタシの部署ではいまどきの技術を追ったり勉強したりする人がいないんです。」って。「だから、自分が勝手にこれはいいよ、とか言い触らしてまわっているって。」でも、上司も同僚もなかなか賛同してくれないって。

「それってエンジニアなのに学びが無いってこと?」
「そうです。」
「自分がそこのマネージャなら、給与下げるよって言っちゃうな。だって、同じことしかやらないんだろう?」
「過激ですね!」
「いや、だって、同じことしかやれないなら、その人である必要ないじゃない。若い人に変えたっていいんだよ。それで回るなら固定費下がるし。」


所謂、意識の高いエンジニアとか、勉強会に出て行くエンジニアとか、自分で読書会を開こうとするエンジニアとかばかりでもそれはそれで全体の競争が激しくなるので体力の衰え始めたおじさんにはとってもシンドイので適当なところにして欲しいという勝手なアレはありますけれどね。でも、自分の目の届く範囲のエンジニアには、何でもいいし、時々でもいいから外に行って交流して刺激を受け合ってきて欲しいし、自分で好きな技術を学んで仕事にフィードバックして欲しいって思うんだ。


何かすれば、その反動、反応が返ってくるのは当たり前なことで、それが自分に戻ってくることを楽しんで欲しいと思うんだ。人によっては、自分が放した言葉の反応が辛らつな言葉で戻ってくるかもしれないけれど、そう受け取ったんだと聞き流せばいいんだ。それより、反応があることは承認要求を満たされるしね。


別にその仕事場ばかりじゃないのは知っているのだけれど
学びに対する意識が少しでもあるエンジニアなら、世の中の技術に関心を少しでも持っているだろうなと思うのだけれど、多分、そうじゃないだろうなぁって。過去も含めて自分と同じチームのエンジニア達には、

“まるで仕事場に引き篭っている”


ような風に見える人たちも実際いるんだ。そして、その層って小さくない。確かに話を振れば、そのときは関心を持つような反応が返ってくるけれど、自分で、エンジニアとして学びを見つけたり、出かけてとりに行くような行動を決してしたりしないものだ。


やっぱり、価値観が違うんだろうなぁ。



実際は、そういった人たちが日常を支えるという事実もある
でも、マネージャとしてはそういったエンジニアも貴重なんだね。言ったことはやってくれる。自律はしていないけれど、自立はしているので、与えた仕事はその範囲で、持ちうるスキルでやってくれる。実際。そういった人たちがいないと仕事が回らないっていう事実もあるから。


でもそれって、社員である必要があるの?って思ったら正解。社員である必要はないし、経験豊富なエンジニアである必要もない。新人が仕事を覚えるためとしていいかもしれない。


代替が利く仕事をずっとしていていいのか?って。本人がそれでいいならいいけれど、マネージャとしてはさびしい。だって、人を育てるのもマネージャの仕事だからね。