“したいこと”と“為すべきこと”の間でココロの折り合いをつけるのに難渋する


ソードアートオンライン、4話まで観たのですが、これ面白いですね。『リアルタイムで観ればよかったかも』って思ったけれど、ちょっと時間をずらして接することでリアルタイム(っていっても録画ですけどね)で感じることと別の感じ方があるかもって、都合よく考えてみたり。
アニメだから、これは絶対観たいとか、観て当然とかそういった使命感や義務感なんて持ち合わせていないですが、−観て話しが好みで楽しみになるものはあるけどね−、仕事だと、仕事としてやるにしても、一つひとつの仕事は、やらなくちゃいけないことや自分から進んで手を挙げたいこともあるし、それ以外に為さなくてはいけないことがあるんだと思うんですね。それって、結構ココロと向き合うので面倒だなぁって。



“出来ること”と“したいこと”と“為すべきこと”
“出来ること”は、仕事を習得して自分でも出来て当たり前になった仕事です。“したいこと”は、やったことはないけれど、自分から挑戦してやりたいと思う仕事です。“為すべきこと”は、自分の立ち位置からしてやらなくてはいけない仕事、つまり、ロールに定義されたミッションと言ってもいいでしょう。


普段、仕事をしていて無意識にサクサク終わらせている仕事は“出来ること”に入るものが多いのだと思うんです。だって、心理的に抵抗がないんだから。“したいこと”はどうだろう。まだやったことがないことの方が多いだろうし、それは、よそ様のやっていることや他で見聞きしたことを根にする興味関心から来るものかもしれない。だから、出来るかもしれないし出来ないかもしれない。でも、ココロでは好奇心の方が勝っている状態の仕事。あと、“為すべきこと”に分類される仕事は、ちょっとネガティブかもしれない。やらないといけないけれど、どーもココロは背中から無理に押さないといけないような、ちょっと躊躇するような仕事。でも、自分の役割としてやらないといけない仕事。それが“出来ること”なら、どれほど楽なことはないけれど、でも全部の仕事が“出来ること”や“したいこと”の二つだけになるなんてありえない。


期待されることが“出来ること”なるとムクムク起き上がる気持ち
これが出来たら一人前なんて、どこにでもある仕事ですね。だから、出来るようになることも期待される。議事録が書けるようになったら、自然と会話される言葉もコンテキストの理解力も言葉を選んだ表現力も必要なときに必要な表現を文書に応じて使いこなせるようになると。少なくとも、最低限の文章力のレベルは担保される、ような。


やる方だって、その仕事が“出来ること”になれば、その“出来ること”が一つひとつ増えていけば、自信になるものです。それは自分の力と言ってもいい。ちょっと“出来ること”が増えてくれば、段々と仕事に対する視界が広がって見えてきます。それは、関心を持つ対象が増えることでもあり、また一つ新しいことを学ぶきっかけにもなります。そうしたココロの気持ちがなければ、向上心も芽生えないし、それ自体必要なことです。ただ、それだけでもいけません。


期待されていることは“為すべきこと”
意外と、“為すべきこと”を意識しないことが多いのではないか、と思うんですね。だって、自分の仕事を客観的に見ない限り、気付くことは難しいからです。何も意識しなければ、“出来ること”と“したいこと”ばかりになってしまうものです。だって、やったらできるようになった。次はアレをやりたい、ってなるから。やろうと思うココロを駆動しているものは、無意識下の自分の要求です。出来るからやる、興味を持ったからやってみたい。しかし、“為すべきこと”は“べき”という言葉で表現されているように、自分を含めた第三者が自分のいるポジションに対して要求しているのです。


ある時期、それ、つまり、“為すべきこと”を意識して避けていたことがありました。その“為すべきこと”は、ワタシでない他の人が幸いにも得意で積極的にやってくれたので、ワタシが“為すべきこと”を先頭に立ってやらなくてもよかったし、その“為すべきこと”の中心から外れたことに積極的に関与することで、恰も、自分が“為すべきこと”をやっていたように偽装して自分をだましていたのでした。


環境が変われば、それはできない相談になることもあるものです。実際、そのときはやってきて、自分が意識的に避けてきたことを自分がイニシアティブを持って臨まないといけなくなったのです。それは、とても自分のココロと葛藤したものです。だって避けていたくらいなんだから。でも、それをやらないといけないのです。前のようなフォーメーションは組むことができない。ならば、腹を括るしかない。それがワタシにとって“為すべきこと”として強く意識した仕事の一つでした。


その仕事を出来るようになったということは、“為すべきこと”を挑戦することであのくらいなら“出来ること”の一つの仕事にクラスアップすることができたです。いやー、良かった。自信がついたし。


何より、一緒に行動していたチームのメンバには、面倒なことを上手く処理したワタシの背中を見せることができたのでよかったと思っています。それは、リーダシップでもあるな、と。


“為すべきこと”に挑戦すること自体、とてもココロと折り合いをつけて、兎に角、第一歩を踏み出さないと何も始まりません。リーダは、その仕事が好む好まざるに関わらず、駒を進めることを見せることが例えココロの中で難渋していても、しなくてはいけないんだと学んだのでした。