めんどくさいなぁと感じる仕事こそ、仕上げはちゃんとあげましょう


仕事ってめんどくさいなぁ、どうしたものかって、上申書を書く合間の、ぷちシステム企画のような打ち合わせに参加し終わって席に戻ったときに思ったのだった。最近は、この仕事どうしようーって悩むことはたまたまかもしれないけれど、あまりないですねぇ。ないですねぇ...。いや、あった。あったか。でも、そのどーしよーっていうのも人に相談してしまえばいいじゃない、ということで周りを巻き込めばなんでも共犯になるので、気楽にやれるものです。


その仕事の進め方を知っている人を知っていることが大事で、知っている人がいないなら誰も知らないんだからしょうがないじゃないと開き直るっていうか、気を抜いて自然体でやるのが何事もココロに余裕を持てるのでいいんです。余裕があれば、よけることも受け止めることも選べるので。


めんどくさいなぁって思う仕事
めんどくさいないぁって思う仕事は、もう、自分の中でその仕事に自分なりの形、つまりパターンが出来上がっている状態にあるものです。言い換えれば、その仕事をするとき、どこから手を付けるか、どのタイミングで自分を駆動するかの習慣化が出来ていると言ってもいいのです。


自分なりの習慣化が出来ていて、先が見通せるからこそめんどくさいと思うのであって、そこにはもう、何も不安がない状態にあるということです。先が見えていて、手間もわかってしまっているから、「(まんどくせぇ...。)」と思うのです。先が見え、段取りもわかっている。だから、その段取で自分が手足の上げ下げとして振る舞わらなければならないコトが具体的に見えて、その結果もバッチリわかっているからこそ、めんどくさいなぁっと思うんです。


めんどくさいなぁって思ってるからこそ、仕上げはちゃんとあげましょう
めんどくさいなぁって思えるからこそ、そこには自分の仕事に対する自信があるもので、内心はまんざらでもなかったりしませんかね。でしょ。そんなめんどくさいなぁって思う仕事は具体的にゴールが見えているから、意外と仕事の結果をぞんざいにする人もいるんですね。


その道のスペシャリストなのに仕事の結果がね、残念な人がいることも意外と多いです。それって、自分のレベルを下げていると思わないんでしょうか。
#思っていたらそうしないですよね。


幾ら知見があったり、その道のプロフェッショナル!と技量的に認めても、−そこは認めるけれど−、出来具合がそれにふさわしくないならその程度、なんですね。仕事仕事にその出来具合はあるものですが、それを高い割合で、そう何時も8割以上一定のレベルで出来るから、プロフェッショナルじゃないとも思うし、周りはそれを期待するんですね。


めんどくさいなぁって思ってぞんざいに結果を垂れ流しし続ければ碌な事にならないことは目に見えているわけです。そうならないように、自分の中ででもいいんですが、完了基準をもって仕事をしましょう。アジャイル風に言えば、doneの定義ですね。仕上げまで気をくばれるからその手間がめんどくさいなんですから。