好きなことを仕事にすると逃げ場がなくなるかもしれない


エンジニアになってみたかった
幼稚園や小学校のときに将来なりたい職業を聞かれるととても困った。全くなりたい職業が思いつかないのだ。だから周りを見て適当に答えていた。それが何だったか覚えていない。


中学に上がると高校進学もあって前のようにはいかず、少しだけ、まじめに考えた結果が獏としてエンジニアになってみたいと言うものだった。ただ、理数が得意なわけじゃなかったので、−学業全般において平均前後くらいだった−、電気とか、工学とかそういったほうではないよな、とも思っていた。


周りが畑ばかりの普通の高校に入ったら、周りに驚かれたのは、中学2-3年に生徒会の役員をしていたからで、もっと勉強が出来ると思われていたのかもしれない。今振り返れば、そころから生徒会の役員のようなロールをしたいという片鱗があったのかもしれない。


高校生のときには、自分がなりたいエンジニア=システムエンジニアになっていた。何かの雑誌でappleの創業と日本でキャノン販売が苦労して売っていた記事を読んだ記憶があるし、数学の先生を担いでパソコンクラブを作ったこともあった。あのときも同好会的なものだけれど組織を作ることに興味を示していたなんて今思えば不思議なことだ。


高校現役のときの大学受験は、周りに流されて受験した。一つだけ合格したけれど、本当にその大学に行きたいのかと自分に聞いてみたら、そうじゃない、と思った。だから浪人をさせてもらって、文系の情報科のある大学に入ることにしたのだった。



システムエンジニアSIerばかりにいるわけじゃないんだよ
大学では結構人気があるゼミにコネもなく入れたのは偶然でしかな買っただろうと思う。ただ、なぜか分からないけれど一発芸をやってと言われて、レジとかにあるハンディのバーコードスキャナでボケるようなことをしたような気がするけれど、今でも恥ずかしような気がするのでこれ以上言わない。あと、コートにアクセサリをつけていてそれについて質問されたような気がするけれど、それは選考には関係なかっただろう。


多分、愛想よく応対できたからか、ゼミに入ることが出来て、初めて先輩のような存在を持つことが出来た。小学校のときは、そんな関係はなかったし、中学校は新設校だったので先輩なんていなかった。高校も部活は仮入部で直ぐに辞めてしまった。だから、上下関係なんて大学が初めてだった。


その先輩たちが就職をしていく中で言ったことで今でも覚えていることは、システムエンジニアSIerばかりにいるわけじゃないんだよ。ユーザ企業の社内にだってにいるんだよ。*1と教えてくれたことだ。


これは発想の転換と言うか、いや、視点は変えられるという啓示に近い物言いだった。これもワタシにとってとてもあとになっても影響している言葉なのだと思う。


ただ、今ではそう思えても、それはこの歳になるまでの経験とまなびが自分に教えてくれるものであって、そのときの経験値ではその言葉の先のことまでは察することが出来なかったし、まだまだ自分はシステムエンジニアになろうと思っていたのだった。


もし、中学の生徒会役員をやろうとしたことの自分の本当の気持ちや、高校でパソコンクラブを立ち上げたときの気持ち、そしてゼミでもある程度のインフルエンサとして振舞っていたことを鑑みれば、自分の指向に合ったほかの職業があったのかもしれない。


気づかなかったのだから仕方がないし、体は一つしかないので選択できることは一つだけだ。なら、その選択を公開しているかと問われれば、全くしていないし、良い選択だと答えるだろう。


エンジニアなることは好きなことではなかったかもしれない
実は、パソコンクラブを立ち上げたとき、アルバイトをしていてそっちの方がお金にもなったし、仕事を任されていたこともあって、そっちの方が楽しかったのだ。だから、夏休みの部活もほとんど行かなかったし、放課後にそのときは雑誌からゲームのコードをタイプして動かすこともただ面倒で「余り好きじゃないなぁ」と思っていた。


大学ではプログラミングが必須で、やっぱりコードを書くのだけれど、実は自分で考えて書いていなくて、先輩たちのプログラミングをパクッて提出したものだった。だから、言語のバージョンが古くて先生にばれていただろうし、プログラミングより情報システムを使った経営の方が興味があったような気が今でもするのだ。


こうしてみると、ワタシは獏とエンジニアになりたかったし、実際、システムエンジニアになることが出来たから自分の目標を一つひとつ実現したように見えるかもしれないけれど、その実現したなりたい職業は、高校生の頃から自分の好きなことではなかった、かも知れないのだ。


いや、プログラミングは本当は好きなことではない。場合によっては苦痛なときもあった。でも、仕事を辞めようとか思わなかったのは、続けていたら何とかなるかもしれないと思っていたし、ゼミの先輩の言葉のシステムエンジニアSIerばかりにいるわけじゃないんだよ。ユーザ企業の社内にだってにいるんだよ。」と教えてくれたことで、SIerの組織の中にもシステムエンジニア以外の仕事があることを知っていて本当にしんどくなったら職種を変えてもらえばいいじゃない、とチャンと逃げ道を作っていたからかもしれない。


仕事は仕事だから故、しんどいときも辞めたいときもあるものです。だから、本当にしんどければ逃げられる場所があると、肩の力を抜いてやれるものです。それがかえって何とか生き抜けてこられたコツかもしれないとも思ったりするのです。それは、好きでとか、趣味を仕事しなかったから思いもこだわりもなくて職業をピボットしちゃえる視点を持っていられるのかもしれません。

*1:ユーザ企業の社内にだってにいるんだよ。=わかりづらいので修正。“ユーザだって社内にいるんだよ。” → “ユーザ企業の社内にだってにいるんだよ。”