仕事は無条件に信用してやっちゃいけない


昔に買ったCDを引っ張り出しながら気になることを沸々と言葉を馳せているんですけど。

PRISM

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J.BOY

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そうか、谷村有美のCDは絶版か。でも浜田省吾はあるんだなぁ。そうだよなぁ、20年以上になるもんあぁ。そんな前に買ったCDでもすぐに聴くことができるなんて便利だなぁ。


あなたは信用するに値しますか
企業の取引では、初めて取引する前にはその取引相手と契約したらその契約を履行できるか、請求したら支払日に払込みできるかを与信として調べます。契約して仕事をしたのにバックられたら、たまったものではないもんね。それって、相手の企業が財務的に支払える能力がどのくらいあるか、仕事をやり切れるかを計っているわけです。


同じ組織の中なら無条件に信用していいの
じゃあ個人はどなんでしょう。組織の中、同じ部署、プロジェクトチームでもいいんですけど、同じドメインの中で仕事をするのに与信なんてたいそうなことも考えて仕事はしないし、個人事業主間での契約行為があるわけでもないわけで、そんなことはしないです。それは組織が同じドメインとして、面倒なところを同じドメインにすることで担保していると置き換えて理解することもできるんじゃないかな、って思うんです。


で、同じドメインなら無条件に信用しちゃいます?いやいや、そんなことないでしょう。いくら同じ組織、同じ職場だからって自分と同じアウトプットを自分と同じようなストリームで出し続けてくれるって思っています?ほんと?だって、一人ひとりのパフォーマンスは違うし、タレント性だって違うんですよ。得意技が違う。なら、ワタシの得意なところはあの人の不得手であるかもしれないし、あの人の得意はワタシの不得手かもしれない。得手不得手もあるし、仕事を流すスピード、ストリームだって違いますよ。


人は無意識に信用を推し量る
実は、無意識に相手の信用を計っていませんか。正直に、胸の内に聞いてみてください。職場で同じ仕事を一緒にしている人の顔を思い浮かべて。全国で2番目に名前の多い鈴木さんの仕事ぶりはどうですか。信用にあたりますか。全国で10番目に多い名前の加藤さんは信用に値しますか。


人は無意識に仕事のパートナーの仕事ぶりを計るんですよ。全国で50番目に多い名前の岡本さんの仕事ぶりは、こんなにできるんだ、って。同じように全国で99番目に多い野村さんは、ちょっときをつけることがあるんだよね、って。
#あぁ、野村さんに何かあるわけじゃないです。周りにいないし。


個人の信用も仕事の履行と品質レベルに起因する
企業の信用は、契約に対する対価の支払い能力や契約の期限どおりに履行するまでの資金繰りの体力があるか、ですが、それが個人なら、やるとなった仕事を期限までに完了基準に基づいてやり切るかどうかっていうことに置き換えられます。


違いは紙の契約書か作業指示などの暗黙の作業の応諾の形状だけであって、本質的には同じものです。期限までに納めるモノ形、それを履行する体力とスキル。


結局、同じじゃないかなって思うんですけど。本質は同じ。誰もが疑っているわけではないけれど、それが自分の身に降りかかる瞬間から気にし始めるんです。


メンバはメンバの信用というパフォーマンスを厳しく見ている
同じ職場でも、同じプロジェクトでも一緒に働くメンバがどんなパフォーマンスするかを気にします。
#面と向かって言ったりはしないし。


それは仕事を一緒にする上での当事者の自分にとって重大なリスク要因だからです。パフォーマンスが高いメンバならもちろん歓迎します。逆に、パフォーマンスが低いメンバが居たら暗黙で自分の負荷が高くなる可能性があるわけですから、歓迎されませんがやっぱり面と向かっては言わないでしょうけれど。


結局、人は無意識に人を無条件には信用して仕事はしていないんです。その例外は、自分の身にリスクが降りかかるまでです。そう考えると仕事=信用なんだな、っておもうんですね。


だから、仕事ができる人に仕事が集まるんです。
#と書いて、自分が抱えている仕事の量を与信力として見做そうか...。