知の泉への補完と紡ぐ力の循環を


立ち上がりから盛大に盛り上がっているプロジェクトがあって人海戦術で頑張っているエンジニアたちの仕事の中で、「あぁ、これは経験と言うバックグラウンドとそれからモノを紡ぎ方を持ち合わせていないので、そのプロジェクトに必要な技術のスキルセットはあるにしても限られたタイムボックスの中でアウトプットするには辛かろう。」と思うことがあって。


経験は必須か
プロジェクトのアウトプットならドキュメントかプログラムといってもそれほど乱暴でもないと思うんですが、例えばドキュメントを旧につらないといけなくなったとき、それを作るために作る当の本人が必ず経験していないとできないかと言えば、そんなことは無くて経験してれば過去の経験を雛形に出来るから構成を考えたり構成の過不足を心配したりすることが無いくらいなのではないかと思うんです。


ワタシもいまだにワタシにとってnewなドキュメントを作ることが間々あって、それをするのに経験が無いから拒むのかと聞かれれば、それはないです。歳を取れば悪知恵は働くのでそれを経験したことがある人を聞いて回って探すのでそのところの経験のビハインドは人間系で補完してしまうからです。


紡ぐ力
ワタシはそれを瞬発力という言い方が好きなのでそう呼ぶのですが、所謂急ぎの仕事が割り込んできたときに、それをいかに応えられるかという自分なりのプラクティスを使って短いタイムボックスの中でアウトプットするスキルです。


なら、思考する速度やタイプするスピードが速ければそれはできるのかと言えば、その人のバックグラウンドにその速い思考する力とスピーティにタイプするスキルを生かすための知識を自分の知の泉から引っ張り出せないと宝の持ち腐れでしかないのです。


紡ぐためにはその人なりのプラクティスが必要だし、紡ぐためには紡ぐ部品である知がなければ紡ぎようもないのですから。


知を循環させる
そのためには、本などを読んで知らない語彙を知る機会を増やすことが何よりです。それを自分の知の泉にいれておく。そして、それを自分の言葉として使ってみることが自分自身のプラクティスに繋がるのです。


その知の循環をすることがクオリティの高い文章を作ることに結びつくのです。