“やりがいのある仕事”なんて仕事が出来るようになったら得られるものだよ


ちょー忙しいんですけど。なんでワタシが最後まで仕事場にいるんですかね。まぁ、なんたらタスクのリーダばっかりだけどさ。まぁ、それはいいんですよ。仕事が面白いもの。仕事が面白く感じるし、一つ一つ仕事を始末していけたらポストイットに書き出した仕事に×印をつけて、ポストイットに羅列したタスクに全部×印がついたら“くしゃっ”って握りつぶしてゴミ箱へポイって。で、内心「(ニンマリ)」としないこともないなぁ。


その上、心配で顔を出したらレビューしなくちゃならんなぁっていうのもあったりしてそれはそれで自爆なような気がするけど、必要とされるならまんざらでもないし。


「(あー仕事したくねー)」と思うホントの理由は?
仕事したくないって思う事はときどきあるんですよ。今でも。内心は、今の仕事面白いと思っているからそんなことを想いながらも「さて行くか?」って行動しているけど。そうか。仕事しなくねーじゃなくて、仕事に行くのが面倒なんだ。だって遠いもの、仕事場が。乗り換えも多いし。


仕事は面白いけど行くのが面倒。でも、ジャケットを羽織ればね。きれいな靴履いていきますよ。仕事場に行くための服装に着替えることはココロのスイッチを仕事をするぞっていう切り替えにとっても大事なことで。普段と仕事を切り替える。それがその格好をしている間は仕事を集中してやるということにとっても効果があるんですよ。


だからきちんと着替える。普段着で仕事も楽だけど、楽したいならジャケットでアンサンブルにしてボタンダウンのシャツでノーネクタイでいいじゃない、って思う。ちゃんとしたビジネスカジュアルだしね。


自分のファッションポリシーに身だしなみを揃えて。ビジネスカジュアルだとしてもそうまでしてファッションも頑張るほどには仕事が好きなのだ。ただ、仕事場が遠いだけ。


多分、仕事したくないって思う人は仕事そのものより他のことで嫌いな理由があるんじゃないのかな。同僚とか上司とか他に理由があるんじゃないかな。


上司は好きになれなくても仕事はやりがいを感じられる
仕事場の人は別に好きになる必要はないと思っているのは、ドライに言えば仕事をするうえで双方でコミュニケーションが取れればいいだけだから。仲を良くしておくのはある程度こちらの都合で曖昧さの幅を持っていたいとか、いちいちコミュニケーションをとるときの導入コストをなくせると言う理由だけれど。


でも人は感情の生き物なので、本質的な生理的に合わないことだってある。肉親だってあるだろうし、それが他人の上司でなんてあって当然なのかもしれない。別に好きになる必要なんてこれっぽちもないし、好きになってもらいたくもない。そういった感情は抜きで、それよりお互いのコミュニケーションが十分取れる関係だけがあればいいと思うしそれを望んでいるのもホント。ワタシがメンバに雑談ネタを振るのは普段からワタシと話すことのハードルを下げておきたいから。仕事をするのに高いハードルを掲げてコミュニケーションを取るんじゃ大変だもの。


その点仕事は感情がぶつからない分自分から好きになることが出来ると思うんですね。嫌いにならないの、と聞かれたらそれは自分で仕事をやれていないからなんだと思います。仕事が嫌いな人は自分の胸に手を当ててなぜなぜした方が良い。嫌なのにその仕事を続けているなら尚更だから。


仕事のやりがいを感じられるのは、その仕事にある程度好意を持っているら。好意を持っているからその仕事をすることに前向きなココロになれるんだよ。仕事を覚えられると仕事をだんだんと改善したくなるんだ。そしてより仕事に対する工夫をするようになる。


出来るようになるから好きになれるし、好きになれるからその仕事がやれたときにやりがいを感じられるんだと思うんだよ。そんな風に接することが出来るようになれば、仕事は自分の中でだけでも楽しくやれるさ。