マネジメントされない世界が理想の世界か
組織の中でメンバと仕事をする上での理想は、メンバ一人ひとりが自律して、それはメンバ自身がその組織の中で自分を律して仕事に取り組んで居る状態です。
組織には組織を存続させる目的があり、そのために活動しているわけでその目的を共通理解の下に夫々の担当する業務を担うのです。組織の目的を達成するための業務を行うには、それを誰もが同じ振る舞いになるようにルールが決めてあって、そのルールの上で業務が実行されるのです。
ルール化はアウトプットのレベルを合わせたいだけ
これまで一緒に働いてきたメンバの中には一緒に活動するチームの中での振舞いで共通化した方が良いものをルール化しようとすると、反発する人がいたりするものです。不思議とある一定の割合で定常的に存在します。
ルール化は、業務運用上の緩い決め事であってその決め事があるからとある仕事についてはそのパタンで振る舞えば誰でも同じ結果が得られ、後続工程の人は同じパタンでアウトプットされるものを受け取ればいいことになります。そのアウトプットを得るためにルール化するのですけどね。
反発する人のルール化しようとしている仕事に対するアウトプットが期待するほど十分かと言えば、アウトプットを受け取る側になれば意外と人それぞれでバラツキがあって、どちらかと言えば期待外れなところが多いのもよくある傾向です。逆に言えば、ルール化しようがいまいが、どっちにでもあわせると言う人のアウトプットはある一定の水準が保たれているので気にしないことが多いです。
ルール化は期待を調整するコストを下げる
アウトプットをある程度のレベルに合わせたいということがよくあることで、そこには業務に対するコントロールと言う行為が立ち入ることになります。それがまったくない世界は、一緒に働く一人ひとりが自分の試行錯誤の上で業務のふるまいを作り上げることになるのです。
そういった一人ひとりの業務のやり方が違うままで一緒に業務をすることが成り立つのか。ワタシはそれは違うだろうと思うのです。マネジメントされていない、業務をあるレベルでルール化されていない、全くのコントロールされていない世界では、自分以外の人の仕事のやり方は勿論、インプットされる情報もアウトプットされるモノも自分と違うので、自分の期待と相手のアウトプットを合わせることを毎回しなくてはならないという見えないコスト負担を要求されているのです。
そう、ルール化は高いコンテキストに支払われるコストを減らす効果があるのです。ただし、シンプルなルールの間であれば。
マネジメントされない世界が理想の世界か
ルール化されている世界はマネジメントされていると言うことは誰でも理解できる状態ですが、自律した世界はどうなのかといえば、自分を律するのですからやっぱり律するおおもとがあるわけで、そこにもやはりルールが存在するのです。それらと真逆なのはただの無法地帯であって、そこには、ルールを基礎とする高いコンテキストで仕事をするような環境は存在しないのです。交通整理もされていない世界が理想とはとても思えません。