ワタシのスランプはワタシが作る


仕事が思うように回らないことがあって、なんやかんやで片が付いた後に、ふと、なんでそんなことになっていたんだろうと思い返すととってもつまらないことが原因だったのかもと思うことがある。流石に40年以上も生きてきて、20年以上も仕事をしてれば若いころの自分が思うようにいかないことに気付いて軌道修正するまでにかかる時間は随分と短くなったし、何度も経験したトラップにはもう嵌らないようになれた。


ワタシが仕事で嵌ってストレスを感じているときは、一時期に仕事がスタックしてしまっているか、ある仕事の“次”の身動きがわからないときくらいです。一時期に仕事がスタックするという状況は、定常的な仕事の他に振ってくる仕事と首を挟まなくてもいいのに知見からついつい挟んでしまうもの、隣で見ていたらそのやり方じゃこっちに余波が来て大変になっちゃうから仕方がないよ、っていう、まぁ自爆的に地雷を踏むケースが多いのもあって、つくづくアホだなぁって思うんだけど、そんなときですか。


そのストレスも中を覗けば、「次どうしようかなー」と悩むものと、「あー面倒くせー」の二つでしかなくて、面倒だなって思う方は期限近くまで放置して自分で自分の首を絞めるんでさっさと積むだけ積んでサディスティックにやればいいだけなんです。もう一つのどうしようかな系だって答えはわかっていてそれはもう“人に聴くしかない”んです。

ワタシのストレスはもう、人と会話することなのかもしれない。


でも、“人に聴けば”問題が解決するか、解決の糸口を知ることができることも知っている。その行動に移すことそのことが自分のストレスなのだと。でも、答えを知っているからね。よいしょって気持ちの腰を上げさせるまでがそれで、それをしなければ問題は解決しないことを知っているし、腰を上げれば、人と会話すれば解決することも知っているから実はそれほどストレスではないのかもしれない。


じゃあワタシの本当のストレスとはなんだろう。なんだ?本当はわかっているだ。それは全くどのようなものか見えないものだ。解決策をこれからの振る舞いの結果を得ながら次の策を考えて知らない結果を自分が望むだろう結果に導いていくような問題に直面するとき。


でも、それも中をよく見れば人と会話することで解決の糸口は得られるし、行動すれば答えに辿り着ける。やっぱりそうなのだ、ワタシのストレスはワタシ自身の気持ちの腰をあげること、そのものなのだ。


あーわかっていたけれど面倒くさいな、おい!オレ。