「(ワタシだってすべてを知っているわけじゃないんだから)」と気付くことが他の人を思いやれる

ワタシのiPhoneは4Sで家族のiPhoneは5なんですね。我が家の中ではPCやガジェット担当は自然とワタシになっていて初期設定はワタシに頼られるわけです。頼られることは存在意義を得られることでもあるのでうれしい限りですができればわかる範疇にして欲しいと少なからず思うものだけれど初期設定をしなければ到底使うこともできないのでそうならないんです。


少ながらず、新しいものに触れるということもあるので嬉しい半分なんですが残りの半分はしょうがないなーって言う気持ちもあるわけで。だれでも自分のことになれば一生懸命と必要だろうと思うことは調べたりすると思っているんですよ。それは逆に言えば自分の問題でなければそれほど積極的に調べもしないし覚えようともしないということです。


1台目は“はじめてのiPhone5”でしたから4Sとの差異がありすぎてクタクタになりながらも楽しめながらできたものです。でも、今になってくるとちょっと面倒。勧めたところもあるので仕方がないんですけどねー。


それでもiPhone4Sのときよりはだいぶ楽になっているのは確か。だってauから“iPhoneをはじめよう”って初期設定からいろいろできる冊子が準備されているのだもの。そういった冊子がなくて、インターネットで探して仕組みを理解して手順を確認しながら自分のiPhone4Sを設定していったのは今思えばBTOでPCを組み立てるのと同じ感覚なのではないかと思ったりもします。auの販売店とサービスデスクは相当苦労したんだろうなぁ。


で、家族のiPhone5の設定は、やっぱり自分のiPhone5ではないから一言一句とまでは言わないけれどそれでも大体の手順を一度やっておくと覚えるものですが身が入らないというか。だから、「(内心それほど知らないんだよ...)」って思ってしまわないこともないんだ。


この「(内心それほど知らないんだよ...)」っていう自分自身の心情を思ったときに、「(あぁ、それって立場が逆なら知っているだろうから何でもやってもらうなんて思っちゃいけないな。)」って改めて気づいたんですね。羽川翼じゃないけれど、“何でもは知らないよ。知っていることだけ”と言うセリフに思い至るわけで。


それってとても大事だなぁ、って。自分だってある程度までしか出来ないこともあるんだから、そりゃ周りの人だっておなじだろうに。それを改めて思い知れば昨日より少しだけ易しく接することが出来そうだと思うんだ。


猫物語 (黒) (講談社BOX)

猫物語 (黒) (講談社BOX)

猫物語 (白) (講談社BOX)

猫物語 (白) (講談社BOX)