仕事はバラして
裁量があるということは面倒な仕事を振りやすい
割と好きに仕事をさせていただいておりまして大変良い仕事環境なのではありますがフリーダムというか無双過ぎる感がもなくもないかな、と思い返せばそんなに自由すぎていいのかと思わないこともないので汗が出そうだったり。
好きに仕事をさせてもらっているからでもあるのだと思うけれど、所謂、難題なタスクとか無茶振りなプロジェクトが多くてもう少しお手柔らかにと言おうと思っても実は自分でネタを仕込んでいたり、自分で燃料を投下していたりするものだから言えないじゃん、ってことの方が多いのは自業自得なので仕方がない。
歳と経験より一つ難しい仕事をしよう
この歳になるといわゆる単純作業はほとんどなくて、経験と実績に基づいたリーダシップやプロジェクトのマネジメントのようなものになることが多いのは、極めて自然な成り行きなのだろうと思う。同じ歳くらいであっても、技術の人ならプロフェッショナルなスキルを生かすプロジェクトで活躍しているだろう。歳を取っても単純作業しかないなら給与上がらないし。
で、好きに仕事をさせてもらっている分、面倒臭くて入り組んで何がどうなっているのかわからないスパゲッティのような仕事や全くの砂漠のような砂と風しか吹いていないくらいのどうしたらいいのよ、っていうしかないような仕事ばかりで自分なりの見当をつけるまでが本当にメンドイ。
ひどい仕事でもスパゲッティなら食べたら終わりだけれど、面倒臭くて入り組んで何がどうなっているかわからない得体の知れない仕事でもやっぱり正攻法でアプローチしないと一向に何も進まない。仕事だから何等かしか恰好を付けて一区切りさせないとバツも立場も悪くなるので進めるために思考と行動させる他ないのだ。
ワタシはこうやって面倒な仕事にアプローチする
ワタシの仕事の仕方は、ゴールを仮置きで決めておく。遠足の栞にあたるざっくりした見当を付ける。その上で人に聴いて回り、人に適宜分担を願う。
#大体にして、一人でできる分量の仕事ではないので。
ざっくりした見当を付けられるか迄が勝負言えば勝負。見当を付けるとこに漕ぎ着けられない間はとても悶々としていて自分でも嫌になってしまうくらいな気分になってしまう。それを抜けたいから、進めたいという気持ちの方が強いので自分で決めたマイルストーンまでに間違っているかもしれないけれど、そのときはそのときと思うようにして見当を付けるんだね。間違っているかもしれないからこそ、仮置きしたゴールと今いる居場所のズレをマメに確認する。確認するズレ幅は感覚的なものだけれど割と広めにしている。大体あっていればオーケー程度。
仮置きのゴールはある。栞もある。見当もつけた。適当なタイミングでズレ幅も見る。後必要なのはその面倒臭くて入り組んで何がどうなっているかわからない得体の知れない仕事をどう進めるのかということ。そのやり方。
仕事はバラせ
それはもう、トップダウンで分解するほかない。バラす。思うままにバラす。バラすのはこんがらがっている原因、本質を見て見たいから。ざっくり見当をつけて進もうとするゴールに辿り着けるかどうかを知りたいから。仕事を組み立てられるかどうか、その部品を集められるかどうかを知りたいから。これで面倒臭くて入り組んで何がどうなっているかわからない得体の知れない仕事だってどうにかなるものだ。
ただ、分解してバラした分だけバラバラになったものが山積みされていて、その中にやらないといけない仕事が山積みになっているわけで。それはもうある意味作業でしかなくて。でもその作業も積み重ならないと進まないのでそれはそれであーやらないといけないんだよなーっていう仕事になってしまう面があって。それこそ仕事と言えば仕事ですけど。