35歳定年説に当てはまるのは賞味期限が過ぎた技術しか持ち合わせないエンジニアだけ


35歳定年説は、ワタシが社会に出たときから既に言われていたことで、その対象がシステムエンジニアだったりプログラマだったりしてどちらに対して死亡宣告をしているのか定まらないけれど、ワタシがそれを耳にしてからすでに20数年も経っても今だ言われ続けているのはなぜだろう。20数年も言われ続けているならもう手垢も焦げ茶色に変色してしまっているくらいなのに。


35歳定年説なんて自分自身とは無関係だろうとしか思っていなかったのか、それともそれがどれだけ自分にとって影響のある問題なのかを理解していなかったからなのか、全くをもって関心も持たず、ただそのキーワードだけが記憶にこびりついている。こびりついているからこそ、いまだこうやって水の底に沈んでいた35歳定年説がどきどき浮かび上がってくるように記事がポストされると「そういったのもあったよね。」」くらいな気持ちでリンクをクリックし、そうだよなぁともそうでもないよとも思念しつつページをはてぶしたり、アンテナに入れてあり、そっと閉じたりするのが習慣のようになっている。


コミュニティを持っていると、登録メンバを母数としたときのオフラインミーティングへの参加率が驚くほど少ない。IPA調査を見ると5%くらいしかコミュニティ活動へ参加しないのだそうだ。それを多いとするのかしないのか。


35歳定年説がシステムエンジニアでもプログラマのどちらを指すのでも構わないけれど、そうした彼ら彼女らが35歳になってパージされるようなことがあるとするなら、それは35歳を超えても対価以上の価値を生み出すだけの技術力がないからではないか、と思っている。


システムエンジニアプログラマの価値はITというシステムを届けることであり、それ以上でも以下でもない。その価値には技術力もコミュニケーション力もマネジメント力もその経験とロールに必要とされる以上を保持していることは当たり前なことだ。


IPAの調査を見る限り、システムエンジニアプログラマで技術や基本的なスキルを磨こうとか広げようと自ら行動するエンジニアが少ない。コミュニティに参加することがイコール技術力の伸長にどれだけ効果があるかは甚だ疑問をぬぐいきれないけれど、それもで外に関心を持って自らの足を運ぶことは35歳を過ぎてからでも続けたいシステムエンジニアプログラマという仕事にとどまるには必要なことなのではないか。


それは35歳定年説に係るようなシステムエンジニアプログラマは、仕事上の上でしか技術も基礎スキルも研鑽せずにただ与えられ仕事の上でだけでしか技術を得ようとしないからそのように揶揄されるのではないか、と思う。


ワタシは35歳定年説は自らエンジニアとして自分のリソースを磨きもせず、与えられた仕事の上で消耗されるエンジニアのことを言うのだろうと思っている。それは恰も賞味期限の切れた技術しか売り物がない商店のようなものだ。