ブラック企業でないことを表明することで誰が何を得られるのか


「ブラック企業」と呼ばれることについて わたなべ美樹(ワタミグループ創業者)公式サイト


余り引用する記事はほとんど書かないのだけれど、店長のhttp://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/06/01/232610を読んでブコメしながら「(なんで余計なことを言うのかなぁ。)」と思ったわけで。で、一方の経営者の記事をポストすること自体に対しては、それをしないと「(不都合が生じるからなんだろなぁ。)」とも理解できるところがあるわけで、それらをツラツラと。


経営者はリスクに対処せねばならない
選挙に出ることが決まったようだから、自分の関わる企業の悪しき噂が選挙のマイナスになると思ってそれを払しょくするために公式サイトで記事を公開したのだろうねぇ。


経営者が属する企業について疑義がもたれ、それを無視することで経営に影響を与えると判断するならその疑義を払しょくする対策をせねばならないのは、それをしなければ株主からの追及はもちろんのこと、そもそもの事業にリスクを負いかねないからだ。


事業にリスクを識別したなら対処せねばならない。だって経営者だもの。


理詰めの数字で説得は得られるか
その経営者が選挙に出るなら属する企業のリスクは、選挙に出る候補者にもリスクになるのは自明だからねぇ。で、経営者だからと言うより納得しやすい環境を作るために当該企業がブラックではないと感情論で訴えるのではなく、客観的な数字の比較でつまり理詰めのつもりで厚生労働省公表(平成23年統計)と比較することにしたのだろう。


ましてや公の統計との比較であるから不用意に接すれば尤もらしいと思ってしまうだろう。「なんだ、思っていたよりそれほどブラックではないではないんじゃん。)」って。こういった統計の数字との比較では常々2つの観点で「(ほんとかぁ?)」って思ってしまう。


一つは比較元になる統計の数値自体の取り方がどうなのよっていうこと。ある前提の元に統計を取り、ある都合によりその数字をまとめているのだろうと。二つ目は、比較先の数字の確からしさだ。本省の統計自体に穿った見方をしているのに一企業の統計なんてそれ以上に確からしいなんて思ったりはしない。それが本当に正しいか正しくないかはその際は棚上げにしてあっても。


それは、理詰めで“説得しよう”と言う前のめりの姿勢がありありと見えるのだ。その経営者の企業の中であればそれでよいだろう。だってそれで説得されなければ扱いが変わるのだろうから。ただ、世間はそういった制約がないからそう思うようにはならないものだ。


で結局誰が何を得るのか
他の経営者からは彼の社長も大変だねぇと同情を得られるかもしれない。自社がブラックと言われて不利益だと判断するなら何処の社長だってああいったコメントを出さなければならないだろうから。そういった意味で、同情も理解も得られるだろう。


彼の企業の社員にとっては複雑だろう。あの企業の中であの文化になじめる側の人はそれが普通であり日常であるから。息をするように求められる仕事のパフォーマンスを発揮できるのだからそもそもなんと思わない。あの企業の家風に馴染むのが精一杯の人ならツライと思うだろう。外に向かって仕事のパフォーマンスを発揮するレベルを公にされてしまっているのだから。


で選挙権を持つ人にはあの記事があるにしても無いにしても気にしないだろう。そもそもあの経営者に個人名で投票する人なら心底惚れているだろうから気にしないし、経営者が嫌いなら信任しないだろう。政党に投票する人もあの経営者に入れようと思って入れているわけではないから気にしないだろう。


結局だれにも何も影響しないのではないか。