成功したやり方の目線と失敗の仕方の目線の違い


プロジェクトを成功させた人に話を聞こうとすると、聞く相手はその責任者になるからプロジェクトマネージャですね。失敗にしてもどうして立ち行かなくなったのか、何に躓いたのかを聞くならプロセスもお金の話もあるのでやっぱりプロジェクトマネージャに教えてもらことになるわけで。


物語として気分には好きなんですがそこから何か自分に響くことがあるやなしやとすると、目新しいことは流石にこの歳になると少ないかと思えば、絶対そうとは言えないところがプロジェクトマネジメントも面白いなぁ、と思えるところで。


どうして失敗したプロジェクトは目線が下からなのか
で、先に失敗したプロジェクトマネジメントの報告などを聞いていて思い感じるところですが、結果は全体としてまとめられるわけです。スケジュールオーバーランとか、コストオーバーラン、とかで。スケジュールオーバーランは相当うまくやらないとコストオーバーランになるものですが。


全体はそれでわかる。で何が原因だったの?ってなるものです。決して一つではないもので、ピンポイントにも出来ないからあれこれと沢山細かな事象まで上げてくる。すべてはスケジュール、品質、コストに響くし、収斂されるものですが。


一つひとつの事象を上げてこれがあるマイルストーンを守れなかった、とか、deliverableの品質が受入試験をクリアできなかった、とか、そういった感じになるんですね。


で、最終的になんでも「もっとコミュニケーションを取れていれば...。」的なところになってしまって対策が曖昧なものしか打てない。だって、コミュニケーションなんて人にその価値感=いつとるとか、これは取らないといけないとか、いらないとか、そういったものが依存するもの。


だから、失敗したプロジェクトマネジメントからのレポートを見ても次に繋げることが出来ないんです。


「そっか、そういうことは気を付けよう。」なんてその聞いたときは思っても、忘れちゃいますよ。だって、自分の価値観を変えるまでのものではないのだから。それは自分自身で、相当つらい思いをして、「二度としない。」と誓ったものだけですから。


なぜ成功したプロジェクトのマネジメントの仕方は上からなのか
もう、これは端的に言えるかもしれない。だって、プロジェクトマネージャが大局的に物事を見ることが出来ていたから、だもの。プロジェクトのアクティビティを体系的に、鷹の目で見ていられるから。


全体を見渡そうと俯瞰しようとするから先に手を打とうとする。俯瞰するから、必然とアラが見えてくる。すべてがプロアクティブに動くんですね。そりゃ上から目線になるわ。


片や日々の対応ばかりになっていたら、それは無理ですね。俯瞰する余裕なんてないもの。目の前のことばかりで精一杯。だからつぎはぎになってしまって、受け身になってしまう。


どんな時でも、上から目線で物事を見ていきたいものです。