ワタシは頑張らない。競うのは自分だから。


毎日の通勤で混雑していると電車の昇降口でがんと動かないで頑張っている人や、ここはオレの領地だ的な占有を主張する人を見かけたり、ちょっとしたことがきっかけなんだろうけど言い合いしていたりする人達を見かけたりすると、この人達、「(なんで通勤ぐらいでそんなに頑張っているんだろう...。)」って不思議でならない。


今日、一日の始まりや終わりのときって、頑張るところなんだっけ?人それぞれの価値観だから構わぬけれど。そういうワタシも若い頃まで?いやいやもう少し後まで、今の通勤経路になるまではある意味頑張っていたかもしれない。それは、混雑している時間帯とか少しだけ早い時間帯だったからなんだろうなぁ、って思いだしてみたり。


ワタシは頑張らないことにしました
そのままなんですが。ワタシ頑張りません。誰かと競うから“頑張らないと!”ってなると思うんです。勿論、世の中は競争です。幼稚園のとき、小学校のときから競争させられていて、ワタシはそのことを理解していなかったけれど、今は知っています。随分歳を取ってから知ったけれど。


競争は必要なことだとも、思っています。普段暮らす近所の人とも同じレベルで会話したいなら、そういった人たちしか住めない場所に済むことが必要です。そうしたいなら、それに見合うことをしなければならないと思うから。


仕事もそうです。さまざまなことを考えて、やりたいことや得たいものが具体的にあるならそれに応じた仕事をしないといけません。だから、それに応じられる勉強も遅まきながらしてきたし、これからもするでしょう。それが仕事の上での自己実現なのですから。


でも、それをするために何かを犠牲にして頑張ってきたか、これから何かを犠牲にするのか、と問われればそれは「違う。」と答えます。何も犠牲にしてきていないし、何も犠牲にしないでしょう。そう思うのは、ワタシの価値観によるところが大きいですが。家族とただ時間を過ごすより、もしそのじかんにやらないと、と思うような仕事や勉強があるならそっちを選びます。その逆のケースもありましたし。


そこにはワタシが「頑張る!」はなくて、やりたいかやらないかしかないんです。やりたいからやる。だから頑張っているんじゃないんです。だってね、頑張ると疲れちゃうし。やりたくてやっているならそれほど疲れないし、逆に満足感が得られるものです。それが大変だったとしても。


競うのは自分です
競争は大事です。それはやりたいこと、自己実現をするに自分自身の立ち位置を知るために。相対的なレベル感を客観的に知る為だけに。


でも、日々のベンチマークの相手はワタシ自身です。それも昨日の。昨日までのワタシと今日のワタシを比べるわけです。何ができるようになったのか。


だから、かな、それも頑張らないという考えの一つです。だって、いくら頑張っても素材は自分自身だから。一番ワタシを知っているようで知らないワタシ自身。知りもしないのに頑張っても仕方がないじゃないですか。


なら、昨日のワタシと比べてよくなったところとか、今まで出来ていて今日出来なかったこととか、そういった自分自身との比較の方がよりいいです。だって、知りもしない他人よりはいくらか知っているだけコントロールができるもの。


だから、競うのは自分です。でも頑張りません。所詮、ワタシだもの。でもね、やりたいことはやるんです。