品質が大事だというならバグを潰す時間をバグを作らない時間に変えよう


品質は大事ですか?
プロジェクトをやっていて、誰構わず「品質って大事だと思う?」と聞けば誰だって「品質は大事です。」って返ってくる。じゃあ、「あなたはこのプロジェクトでどのように品質を担保するの?」って尋ねると「...。」と具体的に品質を確保するためのアクテビティを話してくれる人はほとんどいないのはとっても不思議なことです。



品質とはバグを潰すこと?
見ていないようでメンバの行動を見ていると、彼らの品質とは“何が不都合が事が起きたら解消すること”のようだ。だって、品質が大事だといいながら、ものづくりをするプロセスは何も変えず、何も工夫せず、品質を“確保”することをせずに、バグが発見されたらただそれを潰すことしかしないんだもの。


ねぇ、ねぇ、違うよ。それでは“自分でバグを作り込んで”、“発現したバグだけ摘み取っている”んだよ。


彼らの品質に取り組む時間はたっぷりある。自分でバグを組みこんで、運悪く、露見したバグがある限り積み続けるやり方を選んでいるのだから。受け身のこれも品質活動なん?


受け身では何の見通しもつきません
かれらのアプローチが拙い所は、2つあるんですよ。一つは、いつになったらバグがもうないかな?って見通しも検討もつかないんだ。だって、自分でバグを無意識に仕込んでいるんだからね。二つ目は、どれだけバグを潰すのに時間も人も書ければいいのかわからない、ってことです。これだって、出てきたら「潰しますよ。」っていうスタンスなんだもの。


リソースはもう、手に持っているんだよ
そんな彼らにも品質に掛けられるリソースはもっているんだよ。でも、気づいていないんだ。バグを自ら仕込む人と時間。バグが発現してから潰すまでに掛ける人と時間。これだけ充分なリソースを持っているなら、なんでそれをバグが出ないように使おうとしないんだい。


だいたい、彼らにだって「いつ出るかわからないバグを抱えたままでいるのとあらかたバグを潰しちゃうのどっちがいい?」って聞けば必ず「バグを潰しちゃいたい。」って応えるよ。


持っていないのはバグは潰せるという発想
彼らが持っていないのは、バグを混入させない“しくみ”を日常のプロセスに組み込むという発想なんだ。いつまでも同じやり方じゃだめなんだ。少しづつ変えていく。それ(=品質を確保する作業)をやらないと次に進めないように変えていくんだ。


たったそれだけで変わるよ。そうやって文化を変えていくんだ。その先に品質を作り込むためのテスト手法を学んでいけばいいよ。