40歳からのキャリアデザインを考える


40歳からっていっても、これを書いている当の本人はもうすぐ50代だというのに。なら、「50歳からに変えたらいいじゃない。」って思うかもしれないけれど、40歳のときに50歳、65歳を見通して「どうするんだよオレ?」って、今考えて、50歳、60歳になったときに少しでも困ったことにならないようにしようよ、っていうことです。


40歳を過ぎてからの組織の中での存在価値ってなんだろうって。まぁ、選択肢は、3つしかないわけです。ビジネスのリソースになるか、そのリソースをマネジメントするか、そのリソースを売るか。


一つ目のビジネスのリソースになるにしても、一兵卒としてのエンジニアでは、顧客から得られる対価と自らが給与として得る較差が場合によっては逆転しまうこともありがちで、真の意味での一兵卒では扱いに困るときもままあるものです。現実問題として、組織の中でのコストで考えれば、20代のエンジニアより、50代のエンジニアの方がコストは高いものですから、それを考えればたくさんの若手の中に40代、50代を入れざる得ないです。


で、顧客から見れば、明示的にそのチームのリーダだと言われない限り、年長者が「全体をまとめてくれるんでしょ?」って勝手な期待を持ってしまうものです。そう思うのは勝手だし仕方がないことだけど、顧客の勝手な「年長者だから高いことコスト払っている(ハズ)なのにリーダじゃないの?」的な誤解を招かないようにしたり、数人はまとめられる程度のスキルは最低限ないと身をつままれる思いの中で仕事をしないといけなくなりそうでもあって、なかなかそれはそれで辛そうだ、と勝手に心配したりします。


顧客の勝手な言い分としては若さ=過去の経験が邪魔をしない柔軟さ、体力的に無理を言える体力なのだろうからら、それを打破するようなベテランの聡さは必要なのだと思うんだけど、ね。


でも、ひとりのエンジニアとしてもある領域に長けていてその組織の内外での認知度や実績がある人なら話は別です。そうした人はプロフェッショナルだったりするわけですが。それなら、給与以上の対価を得られるし、売る側にとってもいい宣伝になるので価値があるものです。


ホントの意味で一人の担当エンジニアでしかないのなら、若いメンバに交じって若いメンバと同じようにアウトプットをするように求められ、技術のキャッチアップも要求されるわけですから、今の自分の歳がキャリア上のどこにいるのか、その先はそのまま進むのかをよくよく考えた方が良いです。自分で全体をリードするなら主導権がある分、裁量で調整が利くけれど、一担当なのだとしたら、自由に判断できる範囲は限定されるから常に追いついていかないといけないのでそれはそれでしんどいです。


とは言え、急に人の思考も性格も仕事の仕方も変えられないのではないかと思うと、40歳台がキャリアをデザインする最後のチャンスかもしれないんです。まぁ、50代でも変えられる人は、20代でも30代でもやってこられた人でしょうから、そんなできる人は蚊帳の外でいいでしょうけど。


で、あなたは?


20代で、30代で自分のエンジニアとしてのキャリアデザインをどう考え、どう見通して、どうしてきたのか。40代はその最後のワンチャンかもしれない。そして、60台になったとき、エンジニアの30年のキャリアを振り返って嘆き悔やむのは自分自身です。


ビジネスのリソースになるか、そのリソースをマネジメントするか、そのリソースを売るかっていうものしかなくて、その3つの選択肢から自分の最後のキャリアを選ぶなら、その最終形はやっぱり自分でデザインしたいものです。何も、最終形はプロフェッショナルとかプロジェクトマネージャばかりではないのですから。


そうしたキャリアデザインの一つには、エンジニアとしての組織の内外のソーシャルの中での自分の存在価値っていうのもあるんじゃないかと。自分のエンジニアとしてのその組織の中でのポジションはある程度意識して、それを踏み台に組織の外で課外活動を始めるとか、組織の中でコミュニティの場を自らが設けて後進育成に手を出すとか、自分の存在価値を増やすことに何等かしか手を付けていくのも一つのデザインなのかもしれません。