内製化と多段階契約のギャップは見えないコミュニケーションコストだった


内製化って、自社内のリソースで人的リソースを賄うことです。その内製化は別の見方をすれば、ある一定の学歴のエンジニアが揃うっていうことだと思うんです。最低限でもここまで勉強の仕方を知っていると。これはある意味、勉強やコミュニケーションのレベルを最低限のレベルで標準化しているといことではないか、と思うんです。


標準化されているわけですから、ある一定以下のことについてのコストを費やす必要がない、ということです。そこは、コンテキストの中で省略して進められるんです。だから、その分、楽なわけです。面倒くさいのは、その最低限より上のゾーンだけに限られるので。


ところが、外部リソースを導入しないといけない状況になると、内製化である一定のレベルで省略されていたラインが下にぶれるわけです。なぜなら、その外部リソースのレベルに高い方が引っ張られるから、です。


いままで、省略されていたコミュニケーションが復活するのですが、なにせ、今まで省略していたので、それが暗黙にあるコミュニケーションであることをついつい忘れがちで、恰もそれがある前提で略して振る舞おうとするので相互にギャップがでるんですね。


その外部リソースの蓋を開けてみると、その契約が多段階だったすると、もう、ある程度のレベルを担保することはできなくなります。契約の段数を踏めば踏むほど、学力レベルに多様性が出てくるからです。


と言うことは、内製化でプロジェクトチームを組む場合と外部リソースを使う、それも多段階リソースで、の場合とでは、コミュニケーションにかかる見えないコストがギャップがありすぎることを認識しておかないと、想像以上の時間をコストとして費やしてしまうことに注意しないと何が原因でコストオーバーランしているか、わからなくなります。


プロジェクトのチーミングを考えるとき、そのリソースの出所を押さえてメンバ構成によってはコミュニケーションコストを大目に積んでおかないと痛い目に合いますよ。