エンジニアは素振りをしないと言葉の世界は広がらない


ふと、仕事で言葉を使う機会にはどんなケースがあるかと思い浮かべてみたら、

“会話(挨拶、雑談、会議、ホワイトボード)”
“文書(メール、設計書、議事録、報告書、申請書)”
“プログラム(コメント)”

このくらいしか思いつかなかった。ホワイトボードに書いたものは、どこに分類したらいいのだろうとちょっとだけ悩んだけれど、会話を実体化するだけだから会話で括ってみた。


でね、エンジニアの文章力が落ちたとか、期待の水準まで書けないとか、ときどき、亡霊のように日経ナンラの特集になったり、オジサンたちが嘆いたりするわけです。


エンジニアが文章を書く力が本当に落ちたのかどうかは、嘆いたり悲観する人の主観でしかモノを言っていない断片での見解であることは、比較される今のエンジニアに対峙する嘆き悲しむオジサンエンジニアあたりの比較元のデータが客観的にないのだから明確なことなんだと思うんですよ。


開発環境が、昔はと言っても20年くらい前かもしれないけれど、コンピュータ資源が高価であったころは、コンパイルを流してジョブの結果を待つまでのターンアラウンドタイムが長くて、その間に机上でデバックをするとか、業務の仕組みがコンピュータ資源の利用のしづらさから制限された結果、待たされる時間にあった方が良いねという感覚で補完されていく設計文書でコンピュータ資源の貴重さ、つまりふんだんにリソースを使えないことに由来した設計文書で確からしさを得ようとしているんだから、結果的にそれはもう、山のような文書を書く機会が強制的に得た得られたんじゃないのかな、って想像するんです。


それは、業務の中で必然と言葉を書くという“素振り”をさせられていたんだ、と。そう言うことです。


そりゃ、そんな環境下に置かれて業務として何度も書き直しをさせられていたのだとしたら、多少の資質はあるにしても、少しはましになるってもんです。まぁ、資質をよりどころとする個々のエンジニアのタレントなところは、誰にもどうにもできない範疇なのですけれど。それはそれで、20年前だって今だって、そうしたタレント性を持つエンジニアはある程度いるだろうし、ある部分、仕方がないんじゃないかと思うのです。


で、今は、お手軽に普通のノートPCにメモリとストレージをバカバカ積んでさえおけば、IDEなり仮想化環境でマイ開発環境がお手軽にできてしまうので、つべこべ考えずに作っちゃう、動かしちゃうことができるんですね。それは、きちんと考えてそれをやる人もいるだろうけれど、だれがどうやったって、手を先に動かしちゃうから、頭の中だけで、自分の発想だけでイメージ化してモノづくりに入っちゃうわけです。


そこには、自分の持っている“言葉”だけでしか思考をしていないし、言葉を紡いでコンテキストのある文章にすることもなく、思いつきの、ひらめきの、短い文書だけで思考するので、言語を実体化して人の目にさらす機会が極端に減ったのではないか、と推測するんです。


実体化しない言葉は、誰の眼にも触れないのですから、本人が洗練化しようと意識しない限り、揉まれて、シンプルに、新しい言葉を他から充足して多様になることはないのです。


そう考えると、今のエンジニアは、自分から意識をして、日々言葉を紡ぐという“素振り”をしないと、言葉が実体化せずに自分自身で使える言葉が広がらないんじゃないかな、って思うんです。なので、一生懸命意識して言葉を実体化しましょう。