takeよりgiveなエンジニアの世界


子どもの中間試験の結果を訊いて、やっぱり子どもが勉強できるかどうかなんてその子どもの家庭環境に依存するよなーって改めて思ったんですね。


でね、社会人になって、どれだけの人が勉強するんだろう、って。facebookでつながっている人達はこれはまたこれでよく本を読まれたり、週末も活動されていたりと感心するばかりです。


ワタシがfacebookなど実名で「本読みましたよ!」とか言っても「ふうん。」で終わっちゃうかスルーされるだろーなーって思っているし、本ばかり一生懸命読む気もなれないのでそんなことは書かないで美味しそうなごはんばかり写真あげてるのは人畜無害かなって思っているから。


話を戻して、なら、社会人になって勉強するしないって、若い頃は仕事に対する経験も知識もないからそれを補てんするためにするのだけれど、それでもワタシが若かったころのようにOJTだけ、っていう人も少なくないんだろうなぁ。いや、自己擁護するわけじゃないけれど。


社会人になって、マネージャになって、初めて勉強する環境つくりって意識したんですね。だって、組織目標に人材育成があるんだもの。それに、育ってくれないとワタシの身代わりが出来ないし。


だから、ひとり一人面談しながら、期末の評価の面接をしながら、この人は勝手に勉強する人かな、とか何か好奇心のありそうなネタをその人の関心事から促してみたり、後がないゾって煽ってみたりして、想定と実績のヒヤリングからその人が勉強する人なのか、どうか、見極めたものです。


でね、ときどき、「あれ、どう?」なんて聞くわけです。フォローというか、トレースというか。


みなさん、優秀ですから勉強の仕方は知っている。だけど、そこまでなんですね。自分で勉強したり、情報をもらって、きっかけを作ったりはできるんですけど、それを自分の中だけにしまっている。自分の言葉や身振りを使って自分の本当の技術になっているかまで検証していないんですね。


ううん、検証という言葉が正しか、ちょっと好みが分かれるかもしれません。


けど、使わないと使えるのかどうかわからないですよね。なので、頂戴、ばっかりじゃなくてあるタイミングでその人が得たものをその人なりの解釈を添えて誰かにお披露目というかあげてみないと。目の前に出してみて、その反応を得ないと。


そうした自分の技術をあげるという行為が社会人というか特にエンジニアには大事な経験なんだけど、と思っているんですよ。


あげてしまったら誰もがその技術を得て、「自分のアドバンテージが……。」って思うかもしれないけれど、それ大丈夫だから。自分なりの解釈は理解というノウハウだから誰もそれは得ることができないんです。


それに、学び方も知っているし、解釈の与え方も知っているです。もう、自分が先にやってしまったことなんてちょっと脇に置いて、次に手を出せばいいんです。


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