エンジニアは何でも後天性のスキルを学び習得できるか


プロジェクトファシリテーションに関する雑談をしてて、ちょっとそんな話になりまして。


ワタクシ個人的には、どんなスキルについても、後天性の学べるスキルの領域はあるんじゃないか、と思うんですね。ただ、その後天性で学べるスキルの領域をその人の学べる質だとか、レベルは学ぶスキルとの相性というか元々持っているその人のポテンシャルに依存するところがあるので、そのポテンシャルのレベルによって後天的に学ぶために掛ける時間が大なり小なりで幅があるのではないか、と。


端的に言えば、本人に意欲があって、掛けられる時間というリソースが確保できるのであれば、その人のポテンシャルまでは学習で習得できる、と。


本人に意欲がなければ続かないし、時間も確保できなければそこまで、で、全く素質がないならそれまで、と。ちょっと、突き放すようで悲しい言い方だけど、だから、次の関心事にピボットできるじゃん、と思えればそれはそれで楽観的でいいかもしれませんけど。


どっちかと言えば、資質もないのに向いていないことについてステックするのもあまりよろしくないよ、って感じです。


じゃ、人は後天的にスキルを学ぶことができる範囲でしか「スキルを習得できることはないの?」と聞かれれば、後天的でない、先天的なところで次元の違うスキルの習得があることもまた事実なのではないか、とも思うわけです。


何十人ともメンバを見てきて、後付けで必要になったスキルをサクサクと学ぶエンジニアもいれば、四苦八苦しながら学んだり、そもそも手も付けないエンジニアもいて、それって、後天的に学ぶ機会のためのリソースがあっても結局、当の本人が直感的に自分の資質を見抜いて「そうした行動をとっているのでは。」と思うこともままあったりしたものです。


必要に機会を与え続け、当の本人が根負けして取り組んであるきっかけから自分でブレークスルーするときもあって、それを後で本人から聞くと実はとっても嬉しいんですが、それはやっぱり後天的なスキルの習得に依る本人の価値ある経験から意欲が刺激されたのでしょう、なんて思ったりします。


そういうケースもあるけれど、やっぱり先天的な資質に依る部分も多分にあると思うんですね。それは、本人が知ってか知らずか、まぁ、意識はしない潜在的なところで、でしょうけれど、五感で「これ好き!」というフラグが立つようなものかもしれないです。


そうした「これ好き!」って、多少の経験と秘めたポテンシャルがあって、それが直感的に頭の中で結びついてしまうので、行動より思考が先走るくらいに先々について見通しが立つというか、それこそ感覚で全体がわかってしまうというか。


ここのところ、先天的にできてしまうスキルがやっぱりどうしてもその範疇のスキルを後天的に学ぶことで習得できるスキルの先へ行くというか、ベーシックなところはスキップして後天的には得られない領域から学習を始めるとかなんじゃないかな、なんてぼんやりと思うんですね。


エンジニアのスキルを向上しようとか、weak pointを強化しよう、なんて目標が立つとき、後天的に学べることはあるからそれは学習という標準化なりで得られるだろうけれど、先天的な部分がある程度求められる領域の人材育成を求められるとそこはエンジニアリングではどうしようもないんのよ、と言いたくなるところなんですよねぇ。