エンジニアが見る未来の種類


未来といっても“明るい”かどうかはわからないけれど“暗い”未来を憂うくらいなら明るい未来を選びたいもんです。


その未来の見え方も、未来を見通したいと思う自分自身が関心を持つ事柄、目的に応じて、ただ、ぼんやりと見えたり、姿かたちがはっきりと見えたりとその見え方は様々です。例えば、自分自身のエンジニアとしてのなりたい姿やプロジェクトのこれからのタスクのキャリーの仕方はどれだけ身近でどれだけ情報を集められているかによってボケて見えるかそうでないか同じ事柄や目的でも変遷するんですね。


未来が変わるのはなぜか
同じ事柄、目的でもなぜ未来が変わるのか。同じ事柄を見ていても、見る人によってなぜ未来の見え方が変わるのか。未来なんて大げさな言い方でなくてもいいのだけれど、例えば、課題があって、同じ情報を持ったエンジニア同士がその課題の仮説を組み立てるときに全く同じ仮説になることは、方向性の一意を見ても表現の違いという些細な面も含めれば何かしら違うものです。


先達ても、ワタシとSEリーダとメンバとスケジュールの一部を組み直すことを検討していたとき、ワタシとSEリーダは、組みなおすために必要な前提となる情報を持っていたにもかかわらず、そのアプローチも予測した結果も違うものでした。


as isの今今のスケジュールの情報。これから予定している計画。予定しているエンジニアのアサイン状況。組みなおして欲しいとオーダのあった要件。これらは同じ条件であったのにワタシとSEリーダの予測した仮説の未来は違うものだったのはなんででしょうか。


未来の種類
オーダのあった要件から見る未来。予測する未来。それがなぜワタシとSEリーダと違ったのでしょう。一つ気を付けておきたいことは、予測する未来が違うこと自体は好ましいことです。違うエンジニアが夫々違う頭で考えているのだから、違うことをシミュレーションして当然だし、違う見方をする方が一面的にならず、考慮の漏れを予防するには適当なのですから。


その上で、同じ条件下で違う未来を見たのはなぜでしょうか。なんでなんでしょう?


多分、与えられた条件と夫々で持っている個人の内面で持っている経験知が作用したのではないのかな、と。仮説を組むための思考に経験知が影響したのかな、と。


未来を見るに、同じ情報を与えられていても、手の内の情報からどれだけ確実に未来を見通せるか、その未来を見るための差が経験知として現れるのかもしれません。同じ情報でもその経験知が予測する力を操作して、ワタシには“確実に見通せさる”ように働くかもしれないし、SEリーダには単なる“起きうる可能性の範囲”でしか見えないのかもしれません。


そう考えると見える未来には、種類があるのだと気づかされます。


その予測する未来に作用するオブジェクトも様々です。インプットとなる情報、それの解釈、解釈するための背景となるコンテキスト、インプットとなる情報をもとにシナリオを描く想像力、シナリオを描くための経験知のストック。


これらが、未来を確実に見通せさせるか、こういったケースもあるというような選択しとして未来を見せるか、こんなケースが起きるかも?と可能性として想像させるか、それとも全く想像もつかないか。


プロジェクトマネージャが、マネージャが、リーダが、それぞれメンバに期待していることとメンバが違うことを考えてアイデアを出してくるとき、そこには見えている未来がオーダした側と

“違う未来を見ている”


ということを頭の隅に置いておかないと、期待外れと思ってしまうか、一向にかみ合わない会話を続けることになるかもしれないです。それは、ちょっとオーダする側でアクティビティを修正しなければならないでしょう。


エンジニアひとり一人同じ事象を見ていても、そこから見る未来は違うのです。