エンジニアにとって優しい顧客が良いのかそれとも厳しい顧客が良いのか


ずっと昔、まだまだ社会人になって数年の頃、いきなりアプリケーションのサブシステムのリーダを担当させてくれたプロジェクトがあったんだ。今思えば、汗どころじゃなくて随分ひどいクオリティの仕事をしたなーって思うんだけど、当時はそれどころじゃないわけで。


いや、デスマとかそう言った感じじゃないんだけど、ね。結果的に限られた経験と見よう見真似でデザイン設計したんですよ。で、今で言うユーザインターフェースデザインをしたんですね。


簡単に言うとベクタのオブジェクトに属性付けるんですけどその操作順でA案とB案と用意して、で、迷って、関連システムと同じ操作順序にしたんですね。


自分のココロに素直になった方が良いですね。選択した案はどうも感覚的に引っかかっていたんです。今だったら、A案とB案を並べて訊いたんだろうなぁ。「どっちがいですか?」って。


システムデザインの評価は、ユーザの代表が入ってやったそうです。で、コテンパンにされたらしい。それがすごく優しい顧客のオジサンから「知らない方が良いよねぇ……。」って。人の口に戸は立てられないので漏れ聞こえてきましたけど。結局、顧客サイドで見直したらしいですが、その引っかかっていた操作順序だけが選択しなかった案を採用しただけで。


優しさは厳しい面がある
当時はそのコテンパンにされた場にいたらどうだったかな、なんて今思えば「呼んでよ。」って言うだろうけど、その当時それを受け止められたかもわからないし。たまたまよばれなかったその結果もオブラートに包むようにしか伝えてくれなかったのも今となっては残念だと思うのは、その場での厳しい言葉の方がココロに刻まれるから、なんだけど。その点、優しすぎる対応は逆に本質が霧に包まれてしまうというか、わからないままになってしまったところが“厳しい”かったかもしれないなぁ、と。


これとは別の顧客でとっても優しい人は経験からあとで苦労すると思うようになったんだよなぁ。優しいけれど、仕様をずっと決めないとか、子細なことであとから詰めてくるとか。だから、優しい顧客はワタシ的にはフラグなんですよ。注意しろよ、っていう。



厳しい姿勢をどう受け止めるか
一人、とっても厳しい人が居たんですよ。言葉も少しべらんめぃなところがあるときがあって。よく、顧客の中でも言い合いしていたもの。当然、こちらにもとばっちりもこちらの不届きで怒られることもあるわけです。


もうね、電話するときとかもともと億劫なんだけどさらに気が引けるんですよ。もうね。「いやだなぁ。」って。でね。それでも電話したり、時間を貰ってレビューに行ったり。


なんだかんだで、リリースした後にその企業の接待用なのかな、倶楽部があって、そこで打ち上げがあったときに急に近づいてきたんですよ。でね、

「俺、厳しかった?」
「いえ……。」
「やっぱり厳しかったかなぁ。ごめんね。」
「でも、おかげでいいシステムができて良かった。ありがとう。」


正直、それほど厳しいとは思わなかったんですね。なぜなら、不条理がそれほどなかったから、からかな。こっちも若くてバカで何も知らないからそんなこと気にしている余裕がないというか。毎日会社に行ってなかなか成果を出せなくて。今なら、自分をシバくかもしれないけれど。そのくらいグズだったもの。


だからね、逆にうれしかったですね。声を掛けてもらって。単純だけど。


別にMってわけでもないんだけどね。厳しい姿勢の方がそれだけ何か失敗できない理由があるんだとわかりやすくていい、なんて思うようになったり。


今では、だんだん、背景を読もうとするとかそれはそれでこっちも歳を取るというのはアレですけどねぇ。