エンジニアが考える時間を確保したいなら、プロセスから不要な手順を処分しちゃえ


昨年の年末から、家の中の不要だと思うものをちょっとずつ処分することを続けています。そうですね、今風に言えば断捨離ですね。幾つか思うところがあって、いや、そんなたしたことではないんだけれど、もうすぐ50の大台を迎えるなんてことを思うとそろそろ溜め込んだものを少しずつ処分した方が体が後になって聞かなくなってからやるより“楽だよね”とか思ったり、2階の一部屋が何度代わりに使っているような状態でスペースがもったいないと思ったり。


それは、[トヨタの片づけ
:title=これ]を風呂に浸かりながら読んだからってところに影響されているってことも十二分にあると思うんですけど、多分、気のせいでしょう。


日常の風景にしてしまうと何も感じなくなってしまう
仕事でも家庭でも、今ある場の風景、例えば、備品が散らかっている机とか、濡れたままになっている洗面台をそれがいつもの風景だと認知してしまうと、誰もその状態に対して良いとも悪いとも思わなくなってしまうのではないか、と感じるんですね。いつもの風景なので備品が散らかっていても片づけなかったり、濡れたままの洗面台を布巾で拭こうと思わなかったり。


その状態を日常としてしまうことは、その状態を認知する、認めるということなのではないか。そうなら、誰もその日常としてしまった風景の備品を元に戻したり、布巾で拭いたりすることがない……。


感覚が慣らされて麻痺しちゃうんでしょうね。


そういう環境に慣らされるとどうなるか。簡単な話です。そうであってはならない環境下に置かれるとき、気が付かないんですね。


整頓ではなく、整理をするということ
よく「整理整頓しなさい。」って使うんだけれど、ワタシ言葉の意味を逆にとらえていましたね。なんとなく、整頓の方が不要なものを処分するの意味があると思っていたんですが、ちゃんと辞書を引いてみたら……、あら、逆だった。

せい‐とん【整頓】 
[名](スル)
きちんとかたづけること。また、きちんとかたづくこと。整うこと。「部屋を―する」

せい‐り【整理】
[名](スル)
1 乱れた状態にあるものを整えて、きちんとすること。「資料を―する」「気持ちの―がつく」「交通―」
2 無駄なもの、不要なものを処分すること。「人員を―する」


これもつまらない話なんですが、RDGの文庫の1〜3巻が行方不明になっていて、「あー誰かに貸したのかな〜。」なんて無責任なことを思っていたんだけど、先のものの整理の中で読み終わった本を本棚に仕舞うときにちょっと範囲を広げてレイアウトし直そうと思って引っ張り出してみたら……、「あら、こんなところに!」とご対面でした。


本のシリーズごとに並んではいるのですけどね。ただ、並んでいるだけ、なんですよね。それって整頓しているだけなんですね。じゃあ、必要な時にいつでも取り出せるようになっているか、探せるようになっているか、と言えばそうなっていないわけで。


じゃあ、不要な本を捨てて、まではさすがにできないのは本は取っておく人なので。でもね、ときどき思い出したように本も捨てたりしますけど。


整理でプロセスを捨てるスキル
本でも家のモノでもそうですけど、捨てるときに決断をするですね。些細な決断ですけど。一つひとつに自分の価値判断を持ってきてその対象のモノと比べて取っておくのか処分するのかを決めていく。


ワタシの場合もたぶんほかの人と一緒で家のモノなら、これからも使うかどうか、ですね。


じゃあ、仕事なら?そもそも、仕事で捨てられるモノはなんだろう。


プロセスと備品です。プロセスは全部丸ごとじゃなくて、そのプロセスの中の手順ですね。それをずっと変えもせずにやっているならやっぱりおかしい、鈍感になっているのじゃないかと思うんですよ。プロセスは同じでも人の方が異動で変わっていくならプロセスも変わってもいいんですよ。寧ろ、変えるかどうか見直さないといけないくらいなんじゃないか、って思うんです。


そう考えるとすると、日常のプロセスは使うたびに“整理”しないといけないんじゃないか。整理も、並べるだけではなくて、今その手順をやることで得られる効果がなければ無駄なもの、不要なこととして処分しなければならないんじゃないか、と。


そうして、身軽になるんですね。作業からも、時間からも。そうしないとエンジニアが考える時間が確保できないんですから。