エンジニアをやっていて、このままでいたら50歳で“いくら稼げるか”と真面目に考えたときにしたこと


若いころは、仕事の仕方も今から思えば全然褒めらるものじゃなくて、冷や汗というか、脇から冷水を浴びたような感覚になるようなレベルだったのでのお給金なり組織の中の評価はそれなりだったんです。


でね、結婚した時はDINKS(死語)だったので余裕かましてましたけど、子どもが生まれてから少したって、

「あれ、このままこの子が大きくなったときやばくネ?」


と遅まきながら、これからこのままだと「どうなっちゃうんだろう?」とちょっとだけ真面目に考えたんです。いや、根がいい加減なので深くは考えていなかったとは思いますけど。


当時の組織の中の評価もねぇ、自分が当時のマネージャなら「同じ評価するよなー。」って思うもん。あの当時のままなら先なかった。


兎に角、危機感を持ったわけです。今のままでは拙い、と。


何が拙いかと思ったかと言えば、一つはエンジニアとして生き抜くための専門の選択です。もう一つは、組織の中でのポジション=収入。専門の選択についてはこれまでツラツラと書いてきたので割愛するとして、ワイフも子どももいるのに当時、

「今のままの様な評価が続けば食べていけるのかいな?やっていけないんじゃないの?」


って思ったのですね。ポジション=収入になるのは一般的なことですよね。それをまじめに考えていなかったんですね。ホント、困ったちゃんです、ワタシ。


子どもにもお金がかかるし、歳をとったときに食べていけるかどうか。歳を取ったら、と、漠と考えるよりリアルに年齢を設定してみたんですね。50歳のとき、どうなの?ワタシ?的な。


いやー、全然ダメですよね。展望が立たない。それまでその組織にいられるかもわからない。ヤバいって。それで、50歳になったとき、自分が困らないような戦略を立てたんですね。とっても自分勝手な、思い込みの、でしたけど。


実際問題、お金は大事です。そう思っているけど、家族が増えれば思ってもいないお金がかかる。節約?したけど限界がありますよね。メンタル的にもシンドイし。甘ちゃんだからかもしれないけれど。


でも、なら、増やす方向で考えようと。エンジニアとして自分がなりたいToBeが組織の求めるモノならwin-winなわけです。


それからですね。自分の強みと弱みを特別意識して、専門技術を選んで学び、実践したのは。人の前に立たなければ成果は視える化できません。なので、それができるようになろう、実践しよう、と。


そのとき学んだ一つに、組織の求めるエンジニア像は、組織の目標からきていること。組織の目標を自分のToBeと合うように“都合よく解釈して目標設定”してしまえばいいこと、ですね。


解釈を都合よくする、ということは、視点を変化させられるということですし、相手の求める要求をとらえるということでもあるんですね。視方、言い方を工夫せよ、ということです。


年初ですし、そうした自分の将来のことを考えるにはいい時期です。


あと、当時リアルさを出すために設定した50歳。もうすぐそこまで、になっちゃいました。次は、定年がリアルに設定する年齢かと。いやこっちは嫌だなぁ。様々なことが伸びるという可能性がなさそうだもの。