読書会を続けていたら「この月一の読書会が楽しみなんです!」と言ってもらって泣きそうになるくらいうれしかった


もう、数年続けているですよ。読書会。出席者の数はいつも一桁なのでホント“細々と”ですけど。一方、世の中では、第何次かわからないけれど、読書会やワークショップの開催がにぎやかなのは、そうしたIT勉強会などのWebサイトやアプリがリリースされていることからも読み取れます。


でも、なんていうんですかね。適度に規模のあるSIerだと客先常駐の比率が多いせいなのか、意識が“高くない”せいなのか、“言ってくれれば”何でもやりますよという受け身なのかどうかはわかりませんけど、興味を持って参加をしてくれるエンジニアが少ないです。


えっと、所詮、読書会なので出席者が増えるとインセンティブがあるとか出席者を確保しないといけないノルマがあるとか、そうした数値目標があるわけでも設定しているわけでもないです。はい。


そういう経験、いつも出席者が少ないという経験を何度もしていると主催者側も高望みをしなくなるんです。一喜一憂しない。そうしていられるのは、組織の掲示板で募集を募っていて、出席予定者が予め見ているから、でもあるんですね。


そう言う意味で、出席を予定している人の名前、人数がわかることは、精神的に凹まないのでいいことです。
#なんか自分を慰めているような気がしてきた……。


この読書会が楽しみなんですよ!!!
少し前の読書会を開催したときのことです。やっぱりなかなか定刻になっても人が集まらず、参加の意向していた人がまだ何人か来ていないので、「もう少しだけ待ちましょう。」と切り出したときのことです。

「ワタシ、この読書会が月一の楽しみなんですよ。」


と、突然離しはじめてくれたんです。そう、突然に。題材にしている本が良いとか、こじんまりとやっているのがいいとか、好き勝手に話せるのがいい、とか。

そう言ってもらって、泣きそうになるくらいうれしかった。


読書会と言っても、一応agendaは作るんですね。だから、作業テーマごとに時間を割り振ってあって、そのコマの時間枠を目安に進行するんですが、人数が少ないということと、読書会なので終了時間も多少は誰かが時間通りに終わりたいとでも言わなければちょっとくらいは伸びてもいいかな、くらいな気持ちで運営しているんですね。


だから、話しはじめた人がいたら、話しきるまで話させたり、適当な区切りまで話してもらったタイミングで合いの手をいれるとかするので、参加して話している人はかなり気持ちよく話せているようなんですね。


変な言い方ですが、参加している人数が少ない分の効能というか。


逆に参加する人数が多いイベントもやったことも何度かあるのですが、視線が多い分、気を配らないといけない範囲が広くなるので薄くなってしまうんです。これは話し手のワタシの技量の経験の少なさなのだ、とも思うのですが。


やっぱり準備は大事なことでした
月一の楽しみと言ってもらったとき、割としっかりagendaもファクタリングしていたので、その場で初見の参加者からagendaも進行に対しての評価が良かったんですね。

「agendaで何をやるかがわかって、見通しが良かった。」
「時間配分がわかって目安になった。でも、実際は、気にしたけどオーバーランしちゃったけど。」


あぁ、やっぱり大事だったんだ。事前準備。


そこでそういった評価と言うか感想を聞いていたときに頭の中で思っていたことは、



“仕事の終わった時間に、何もなければ早く帰れるのにこの読書会に来てくれている人たちへのリスペクトが足らなかったのかもしれない”


ということでした。いやいや、読書会なんて、「ボランティアなんでしょ?」って思うかもしれないけれど、それを通して自分へのフィードバックを得られえるのは他の経験に代えがたいものなんですね。


そうしたフィードバックを、感想を、評価をもらえたきっかけは、スライドのデザインを今はやりのフラットデザイン風に変えようと思っていろいろ整理しながら、スライドの構成を見直す最中に、アレ足りない、コレ足りない、と自分の進行上にないと困るものを追加していたからでした。


さて、来月の準備もそろそろしなくては。


そうそう、システムエンジニア向けの健全に男女が知り合うことを目的とした読書会やワークショップってニーズありませんかね。