プロジェクトマネージャが些細なこと見逃すという行為をするからトラブルを引き起こしてしまうんだ


人の直感て意外と正しいものなんだと思うんですね。プロジェクトルームの中でプロジェクトチームのメンバの遣り取りがなんとなく聞こえてくることはよくある風景だと思うんです。


メンバ同士がシステム変更の作業の段取りの会話をしているとか、仕様検討のタスクの中で有識者にデザインの方向性について議論しているとか、そうした情景の中での会話の端から漏れ聞こえてくる言葉に何とも言えない“違和感”を感じるとか、“釘を刺さないといけない”と言ったような、そうした自分自身の感覚に対して、ワタシは素直に従った方がいい、と思っています。


しくみを作る
しくみで運営する
しくみを定着する
しくみを改良する


そうした日々のプロジェクトを回すしくみでさえ、完全なものであることはありえないし、プロジェクトチームを取り巻く環境自体が変化していくものです。それは、時間とともに工程が変遷ために求められる要求だったり、チームとかかわる人そのものが変わることでその人の志向により変化を余儀なくされるというものです。


また、自分たちのチームも同じようにワタシたちのチームが望む要求やそのレベル、それを運営するエンジニア自体を工程とともに変化させるからでもあると思うのです。


プロジェクトを安全に、計画に沿った形で運営することは先に述べたことやdeliverableを届けるための活動の中での課題や依存する環境に揺り動かされるために中々思い描いたように進めることは並大抵なことではいかないものです。


プロジェクトがプロジェクトとして存在できるのは、スコープ、コスト、スケジュールが定義できるからであり、それが他にない唯一のものであるからです。それは、それらが仮にすべて全く同じであっても、そのプロジェクトをキャリーするメンバの経験値が上がっていれば得られる結果は変化するのです。


いずれにしても、プロジェクトマネージャはそのプロジェクトに対して何をコミットするのか、どうキャリーするのか、といったプロジェクトをキャリーするためのシナリオを作って、それにそったエンジニアをキャスティングし、思い描くように舞わせないといけない。


シナリオを描いて、それをさせる。


なら、エンジニアを舞わせるのがしくみになるわけですが、そのしくみは箸の上げ下げのポーズまでは書かないものですから、同じしくみでも実は一人ひとりのエンジニアの舞い方は違うわけです。それは、エンジニアがどのようにしくみを理解しているかわからないからです。ただ、結果的にしくみに沿ったふるまいが作業品質として求める“最低限”のレベルを担保しているために問題がないように“見えている”だけなのです。


それが本当に問題がないのかそれとも実は問題が潜在化しているにも関わらず、発現していないだけなのかは、その事象に気づき、確認しなければわかりません。その事業が些細なことほど、些細な分だけ、日々の、至る所に埋め込まれているかもしれないのです。


それはいつか、気にもしないことをきっかけに顕在化するんですよ。でも、その予兆はあったんですね。それをどう見つけるか。それを些細なことのように思えても自分の感覚に違和感を持ったとしたならば、それを見逃す言い訳をつくり、妥協してはいけないのです。


いくら立派なプロジェクト計画を立て、計画に沿ったプロジェクト運営をしていても、プロジェクトマネージャ自身が些細なことを意識的に見逃すという行為をすることで、すべてを壊してしまう怖さを背にしているんですよ。


些細なことほど、気になることはつぶしておきましょう。