不平不満を人のせいにばかりしているエンジニアは何者にも成れない
ワタシが社会人になって暫くの間、「(仕事を3年は止めない。)」と自分で決めたのは“石の上にも三年”という諺をまねただけなんですが、もう一つ、これは仕事を始めた後の途中で「(これも止めよう。)」と思って続けていたことが“悪口を言わない”だったんですよ。
「いや、どっちも普通なことでしょ?」
と思うかもしれないけれど、飲み会になれば「今の上司は転職組で元大手だったのに何でこんな会社に来たんだろうね。」とか「アイツはさぁ……。」とか話しているのが聞こえてきたりするわけです。こっちとしては、そんな話は興味もないし、知らなくても仕事をするうえで支障もないんですが、成り行き上、「あぁ、そうなんですか。」と相槌を打つのが精いっぱいな若造でしたから。
「生きていれば不平不満なんていくらでもあるよ。」なんて言う人もいるかもしれないけれど、そうだなぁ、今の自分なら、いや当時でもそんなことは言わなかっただろうなぁ。でも、そのセリフを“言わない”ということのニュアンスは若造の頃と今とでは中身が違うんですよ。
若いころの自分がそれを言わないのは、自分が社会人として、エンジニアとして確立していなかったために
“確固たる自信を、戦う武器を持っていなかった”
から、の他に理由なんてないし、今の自分がそれを言わないのは
“そんなことを思う暇なんてないくらいにやりたいことが沢山あるよ”
なんですよ。
不平不満を言う人は年齢層に偏りはなくて、万遍ない幅広い層で存在するのにはちょっとウンザリするんです。でも、年齢の高いオジサンたちで不平不満を言う人たちの話は少し違った見方をするので興味深いと言えば興味深いんです。
だってね、いい歳したオジサンになっても他人に対して好き嫌いを隠しもせずにはっきりと言うんですから。ワタシは、ひとかどの“オジサンになったらそう言った人の好き嫌いなんて言わないんだ”と勝手に思っていたのに真逆でしたから。それを目の前にして相手から嫌いな人を話してくれるので、そう言う面での人間関係がわかって面白いんです。だから、オジサンと飲むのは面白い。ただし、サシのみのときに限りますが。
一方、若いエンジニアが不平不満を言うと話を聞くのが面倒くさくなっちゃうんです。申し訳ないけれど。あぁ、そうか。不平不満を言うオジサンと兎角何にしても「やってみればいいじゃん!」というオジサンと2種類のオジサンがいるけれど、後者のオジサンは不平不満を聴くのが面倒で、その不平不満をどうしたいかに話を訊き出してそれをヤレ!というんだ。
どうやらワタシは後者のオジサンに分類されるのかもしれない。
不平不満をいうエンジニアは、年齢に関わらずそのその対象の事柄に対して何もしてきていないのだと思うんです。いや、本当に不平不満を言うくらいなら「それを解消しようとするよね?」と思うんだけど、そうなっていないから不平不満を言うのだろうし、それはつまり結果を得られるようなアクティビティをしていないんじゃないのかなぁ、と。その不平不満はそれをしない言い訳で、言い訳の責任を他者に押し付けているだけなんじゃないのかな、と。
そうだとするなら、そういったエンジニアはずっと何も自分で不平不満を解消することは一つもないのだなぁ。そして仮に周りの人がそれに同意してもそれを解決に導くようなことは示してくれないだろう。だってさ、その不平不満は同意する人の不平不満ではないし、その不平不満を言う人の好き嫌いの話だったりするんだから。
まだ、「やってみればいいじゃん?」と無責任にでも言うオジサンの方が何に対して不平不満かを訊くだけ、不平不満が何であるかを本人に語らせるだけ不平不満に思っている人に対して良きメンターなのかもしれない。ただ、不平不満に思っている人が“それに気づいて動けば”だけれど。
そう思うと、好き嫌いで不平不満ばかりを言うだけで動かない人は何物にも成れないんだなぁ。