普段の仕事で経験できないことを振りかざすエンジニアの言葉からは何かプラクティスは得られるのだろうか

以前も書きましたが、飲み会の席でもちょっとしたミーティングでも、ワタシからはワタシの経験談を話したりはしないです。だって、興味や聞くことの目的を持っていなければそういった話を聞かされても「退屈でしょ?」と思っているからです。


そんなことより、読書会とか、ワークショップで伝えたいことをスライドに織り込んで、そのスライドを共有する方が好きです。


ワタシがオジサンの話をサシで聞く理由
そうは言っても、オジサマ達のお話を伺うのはワタシ個人としては好きです。まぁ、狙いがあるからですけど。


ワタシが年配のオジサマ達の話を飲む席で聞くのは、何か“ワタシの人生では得られないプラクティスが導き出せるかもしれない”とか、組織の中では話し難いことを「リークしてもらえるかなー?」とか、もしかしたらそういったネタを仕入れられたらうれしいな、という期待をちょっぴり持っているからです。


そういった場でなければあまり目的を達することができそうもないので。


一方的に拝聴するご高説には得られるものが存在するか
そんな目的でサシのみする人は少ないでしょう。どっちかと言えば、説教のように話を聞かされるシチュエーションの方が多いのかもしれません。そう、日常の、プロジェクトの中の作業でそういった年配の方のご高説の場がないわけでもないです。どちらかというとデスマ的にトラぶったり、報告の場で報告の場なのにdisられる方が多いのかもしれません。


で、そういった人が過去に大変な苦労をした経験をもとに経験則をお話しいただけるわけですが、それって普段の、ワタシたちの仕事のスタイルや状況で「参考になるんかいな?」って正直思うんですよ。何かね、得られるものがあればいいんですが。大体ね、ないんですよ。ご高説を話されるオジサマは気分よく話されることが多いようですが、訊く身となっては……。


使われる言葉は大人なので選ばれているのでしょうけど内容はdisっているだけなんで。いや、本心から心配して、慮って助けになればとお話しいただける方もいらっしゃいますが、それでも聞く方は同じなのです。

“その話を訊いて、得られるものがあるか否か”


大体、通常体験することができない経験から得られた経験則なんて、一体いつ役に立つのか、ってもんです。それは、知らないより知っておいておなかの中に収めておいて、必要なときにドラえもんのポケットから道具を出すようにできればいいかもしれないけれど、そうしてしまっておくほどの価値がワタシにとって認められるかどうかという話になるんです。だってワタシが受け止めるんだし。ワタシが消化しなければ何も始まらないし。


それに人は過去の苦労話は尾ひれはひれを付けたのち、美化して実際以上の話にしてしまうものです。でなければそんな通常経験できないことを話そうなんて思うわけがないです。



これって、勘と経験と度胸の世界なわけで。それでもやっぱり、ワタシにとって未曾有の経験談から得られるものがあれば、うれしいのでそういった期待はしているわけですけど。


結局、ワタシが経験できていない世界での経験則も必要かもしれないけれど、もう少し知的な学びにして欲しいのです。それも誰かが経験してその人しか持っていない経験則じゃなくて、明示的な知識として。そうしないと、いくら暗黙知を伝えようとしても受け手が汲み取れなければなにも伝えられるものがないんですね。


それでは、知の伝搬になっていないんですね。ワタシは、そうした経験則の話も何等か文字図表に起こして暗黙知にしてくれた方が、周りのエンジニアには受け入れ易いのではないか、と思うんです。その方が伝える側も伝えようとする言葉を伝えられるのではないか、と。


まぁ、ワタシに対してそう言ったサービスは年も年なので遠慮するとして、是非、若手に対して差し上げていただきたい、と。