悩む人はコトを複雑にするのがお好き
プロジェクトのタスクには計画して手を付けるタスクの他に、「ねぇ、ちょっと調べてよ。」とか「エラーログが出ているんだけどASAPで対処回答して!!」とか、さらには「こういったことやりたいんだけどできる?」とかとか、
必要な情報を集めて、
そのタスクを終わらすためのゴールを設定して、
それに向かって段取りして、
のように進めないとできない、そう、応用問題のようなタスクもあったりしますよね。やることが決まっている、つまり、作業を着手する前に何を作ればそのタスクをexitできるのかがわかっている場合はスラスラと澱みなく進められる人も、応用問題になった途端手が止まっちゃうことも少なくないです。
傍から見ていると、こう、ずっとループしているというのかな、そういった感じの状態でそんな袋小路に頭から突っ込んでいるのに自分からバックして出てこようともしないんですね。傍から見ている人は傍観者だからかもしれないけれど、なんで頭を抜いて周りに「ねぇ、これどういうこと?」とか何でもいいんですけどね、自分が理解している状況を説明してみたらいいと思うんですよ。でも、それ、しないんですね。やっぱり傍から見ている人は傍観している分、他人事なのだからでしょうかねぇ。
悩んでいる人は大荷物を抱えてクルクル回る
そのままスタックされても進捗しないので困りますから、助け船を出します。クルクルとループしている人のロールを考えて割り込みをさせる人を選んだりすることもありますし、ワタシから直接フラフラと席に近寄ってまるで世間話をするように「アレ、どう?」なんて訊いてみたりします。
でね、いまクルクルとループしているタスクの状況をお伺いするわけです。
「どう?」
「えぇっと、赫赫云々で……。」
「ふーん、それゴール設定はどうしたんだっけ?」
「あぁしようかと。」
「そうだったね。で、困っている感じを醸し出しているような気がするんだけど?」
「これ、結構複雑なんですよ!だって、アレがこうで、ソレがああで、コレが……。」
「そうなんだ。」
「はい。」
「そういえば、ゴールと言うか、落としどころはどこだっけ?」
「あの辺りです。」
「そうだったよねぇ。」
「はい。」
「今どこにいるの?」
「だから、ここですってば。」
「ここからあの辺りに行くのに必要なモノは何?そろっているだっけ?」
「ありますよ。アレもコレもソレもドレも。」
「ねぇ、あの辺りに落とし込むなら、そんなに情報集めなくてもいいんじゃないかな。返って、集めて整理するの大変じゃないの?」
「それはもう大変ですよ。」
「その辺りに落とし込むようにするのにそれ全部必要なんだっけ?」
「はい。」
「ホント?」
「ハイ!もちろん。う〜ん、う〜ん。」
「なんかさ、情報半分くらいでいいんじゃないの。あの辺に落とし込むつもりなら。」
「うーん。」
コトを考えるとはシンプルに成す所作である
このケースも他のケースでも、ループしているときは、
ゴールを見失う。
ゴールを誤解している。
必要な情報に過不足がある。
目的を手段で達成するはずなのに、手段を作ることが目的に悩んでいる
っていう感じになっているかなー、と。タスクに手を付けて、「アレ?アレ?」って感じたら素直に一旦手を止めましょう。そのまま続けてもいいことないです。他人のふりしてそのタスクをやっている自分を見てみればいいんです。「お前なにやっているの?」って。
「ゴールはなんだっけ?」
「最小限、何があればいいんだっけ?」
「段取りは具体的になっているだっけ?」
考えるとき、アレもコレも欲張らないことです。これだけは必要、という観点でまずは整理するんです。足すことは容易いですけど、一度入れたものを無くすのは“モッタイナイ”精神のバイアスが掛かってしまい躊躇しがちです。
まず、最低限のラインで考えるんです。アレもコレもしようと思わないことです。傍観者がスパッと割り切れるのは、ゴールを教えてもらうけれど、インプットの情報は面倒だから細部まで見ていないからなんだと思うんです。その分だけ割り切れる。というか、割り切るも割り切らないもないんですね。それだけやればexitできるんでしょ、というcriteriaがはっきり見えるから、なんですね。