仕事がしんどくなったら自分で自分に助け船を出してあげよう。助けて欲しい閾値は自分しかわからないのだから。


今日は4月1日なので多くの組織では新入社員を迎えたんだろうと思います。そして、昨年に仕事に就いた新入社員は2年目に、2年目だった若手は3年目に、3年目までは若葉マークとして許される期間を超えた3年目は4年目になって若葉マークを強制的に外され、一人前として扱われるころだなぁ、と思います。


ワタシなんてもう50歳直前ですからね、20ウン年前のときの気持ちなんてすっかり忘れていますよ。とは書きつつ、今から思えばもう少し仕事では「あの辺を頑張れ!」って言っておきたかったし、私生活も「この辺をやっておけ!」と言いたいのがやまやまですけどね、もう過ぎてしまったことですから時計は巻き戻す魔法は使えないし、時間線を渡り歩いてやり直すことなんて出来やしないので過去は過去として、自分が選択してきたことは過去の自分が決めたことなのでそれも酒の肴くらいに思うしかないかな、と思うことでお茶を濁すのが精々なのです。


今は年金支給が65歳からですから、今日から新入社員として働く若い人はこれから43年くらい働くわけで、ワタシが社会に出たときが60歳で年金支給のご契約でしたから、勝手に契約書が上書きされたのを鑑みれば、そう遠くはないときに年金は70歳支給になってもおかしくはない、とも思ったりしつつも、それはそれ、これはこれで、働くしかないのかな、と思うわけです。


とはいえ、何とはなく、ワタシも働きたくはない、今なら艦娘と一日爛れたレベル上げを一喜一憂しながらやっていたいな、なんて思いつつも、それ、3日で飽きるよな、とも思ったり。いや、決して艦これを飽きるという意味ではなく、そうしたことで1日を磨り潰す行為に飽きる、と思うのではないか、と思うのです。


その点、仕事は日々大なり小なりイベントが発生するようなもので、仕事では提督自身が艦娘のようなものですから場合によっては提督自身が大破はもちろん轟沈しかねないので気を抜いて戦闘をながらでやっていると危ないのですが何せ長期遠征なのでそのあたりのメリハリをつけた運用を自分なりに見つけることがいの一番なのかもしれません。


とはいえ、デイリーの消化とイベントとを運用でこなすには、与えられた仕事の中だけで得る技術では埒が明かないと気づくのがいつになるかが一つのカギなわけです。つまり、仕事は自分自身に何が必要なのかはその人のもともと持っているところは考慮されずに与えられるのであって、そのあたりは一切考慮されないと思っていた方がいいです。なので、自分が持っているスキルは何でどのくらいのレベルで仕事ができるかを一つひとつの仕事を終わらせながら自分で認識しているほかないんですよ。そして、それは意外と誰もやらないことです。


つまり、仕事は発注元の先輩とか上司とかから降ってくるので降ってきた元へ納めればいいけれど、それがどのくらい出来ているのかが意外とわからない。でも、そのままだと、やった仕事がどのくらい出来たのか自分で評価をしていないので次に同じようで同じでない似て非なる仕事が来たときにどのくらい出来るかがわからなくて、そのうち、仕事がうまく出来ているかどうかわからなくなっていまい、次第に自信を無くしたりすることもあるんですが、それはそれで誰もが通る道と言えば道なのですが。


落ち込んでいるときは毎日電車にのって仕事場に通ってを繰り返すだけに思えるかもしれないけれど、よくよく思い出してみれば、上手くいくときもあったり、しくじっちゃうときもあったりしながらの繰り返しの中だと気づくハズなのです。


ワタシの様なオジサンにもなると、それはそれで大分へこたれたような経験も、仕事場に行きたいくないよなー、なんて思っていた頃もたくさんあったのですけれど、今となっては何つまらないことで悩んでいたのかなーなんて思ったりするんです。あのときの自分に何をしてあげられたのだろうなんてことも思うわけです。


でもね、多分、そうした仕事場に行きたいくないとか、人間関係につらいとか思うようなときは外から何を言ってもダメなんだと思うんです。そうじゃなくて、自分から何かをしないと。


そう、調子が悪かったら、自分に助け舟を出す様にならないとどうしようもないんです。西尾維新じゃなないけれど、助かろうとする人だけが助かるんです。それは、自分で助かりたいイメージを持っているし、どの時点で助かりたいか、自分のメータ、つまり、閾値を持っているからなんです。


でも、そうしたことで悩むことがすべては自分が起因だとたどり着けるようになれば、悩む必要もなくなるし、仕事なんてどうにでもなると思えるようになるのが不思議なんですが。