エンジニアがコーディングで報酬をより多く得たいなら

やりたいことは何だろう
自分が仕事の中でやりたいことは何かがわかるまで、それ自体が人それぞれで早く見つかる人もいるだろうし、ワタシのようにある程度経たないと見つけられなかった人もいるだろうし、そもそも「そんなの仕事にはないんだよ。」なんて言う人もいるんだろうと思うのですよ。


やりたいことは何だろう、と。そう考えてしまうと、ワタシがプロジェクトマネージャを選んだのはそれをやりたくてではなくてそれがそれでない選択肢を選ぶことが策ではないと思ったときのもう一つの選ぶことが出来た選択肢だったからでしかなかったのです。


「もう一つの選ぶことが出来た選択肢」と表現したけれど、それを選ぶことにしたとき極論を言えばいろいろあるんだろうけれど、なんて一応考えたりはしなかったのは、その意味ではもう一つの選ぶことが出来た選択肢も選ばなかった選択肢も合わせて出来るのならやりたかったものの範疇ではないのかと問われればそうなんだとしか答えられないかもしれないです。


若さとは逡巡し、悶えて、失敗することなのではないか、と思うのだけれど、幾つになっても思いを巡らせて、モヤモヤして、誤った選択をするのは変わらないけれどその程度が少しだけ増しになった程度の違いなのかもしれないけれど。


何れにしても、ワタシの場合はやりたいことは選べるものの中で可能性のあるものでしかなったのかもしれないのです。


20%の時間しか幸せになれない
やりたいことを選び、実際やってみて。それを賽の河原のように積んでは積み直すことを続けて。そうして小さなステップを一歩一歩だけれど進めるときもあるけど、長く留まることもあるわけで。その場に留まっているときでも一つだけ小さな階段を上がれるときでも、どんなときにもその中で感じられる幸せがあるけれどそれを全体の中で占める割合を計測することが出来るならそれは20%くらいの時間なのではないか、と思うんですね。


実に少ないと感じるかその程度と感じるかそれとも割と多いと感じるか。


仕事なのだからシアワセに感じることはないとか、幸せになる必要がない、と言う人もいるかもしれないけれど、合理的思考より感情が先に動くのが人であるならやはり幸せに感じられるプリミティブな何かが必要だし、それが仕事に意味を持たせる救いに思えてならなくてもいいのではないか、と。


なのであれば、いくらやりたいことを仕事に選んでも割と少ない割合でしか幸せになれないのは仕方がないものなのだ。


割り切るか、幸せの割合を広げるか、幸せの広いロールを探すか
であれば、幸せに感じられる時間の割合に対して欲求があるのであれば何れの選択をしなければならないでしょう。現状に甘んじると割り切るのも一つの手です。それでよければ。


今いるポジションで幸せの割合を広げるか。これは実は難しいですね。その配分でロールが制度設計されているから。だから、今のポジションで割合を広げたいならロールを再設計する場に足を踏み入れなければならないんですよ。


もう一つ、幸せの広いロールを探すか。これはギャンブルですね。今の幸せを感じることを他のロールにあるかどうか分からないけれど今のポジションを捨てて別の未経験の場に足を踏み入れなければそれが美味しいのかどうかも分からないですから。


何れにしても、コーティングで幸せを感じるのだとしてもコーディングの時間量=報酬なのだとするなら、報酬をえるための方式を組み上げるかそれに乗るしかないわけです。コーディングと報酬を結び付けられないと仕方がないわけで。


で、報酬とはロールで負う責任に応じたもの、ですから。階層化された組織なら上に上がれば上がるほど事業の責任と配下に属する社員を食べさせていかなくてはいけない、とイメージするのがわかりやすいかもしれません。そうしたこととコーディングをどう紐づけ出来るか。それが出来れば報酬にすることが出来るんですが。