プロジェクト完了報告は「良く出来ました」より「ここが大変でこうやったんだよ」を語って欲しい
プロジェクトを開始するならプロジェクト計画書が必要であることは何度も書いたけれど、プロジェクト完了報告書についてはブログで「書いたことがないかも?」と思ったのは年度の区切りで終了するプロジェクトが建て続けてあったからなんだけれど。
ところでプロジェクト完了報告書ってなんで書くの?
SIerがISO9001とか認証受けていたりすると、プロジェクトを開始する際にはプロジェクト計画を作ったり、プロジェクトが終わるときには完了報告書を書こう!なんて「自分たちの規定」としてルールを定めていたりするものです。それはどうして?って思うかもしれないけれど、ISOなどの要求ではPDCA( Plan(計画)→Do(実行)→Check(確認)→Action(対策)→Planに戻る)のサイクルで自立した改善プロセスを回すように要求しているから、です。
こうした国際規格の要求の本質は、
“自分たちでルールを作って自立して継続的な改善を回して組織のTo Beを達成してね”
が考え方の根底にあるのだとワタシは勝手に思っています。だから自分たちの属する組織の目標を達成するために計画を立てて、それをやって、ズレがないか確認して、あれば修正するループを作っているんだということなんです。その、基本的な?考え方をすっ飛ばして、プロジェクトの始まりで忙しいときに「計画を書かないといけないんだよ!」とかプロジェクトがそこそこ上手く終わった後になんで「報告書を書かないといけないんだよ。」とか言うんだろうなぁ、と思うんですよ。
ワタシ的には、もし属する組織のルールがないとしたら、プロジェクト計画を作ったり、プロジェクト完了報告を書いたりする人は激減するのだと思います。だって、面倒だもの。でも、プロジェクトを上手に回すことができるプロジェクトマネージャに限って言えば、プロジェクト計画は、作成する様式は好みのスタイルになると思いますが自分なりに書きやすいフォームで必ず書き続けるでしょう。ただ、プロジェクト完了報告書に限って言えば、上手くプロジェクトをコントロールすることができるプロジェクトマネージャでも明示的に報告書などにナレッジとなるプラクティスを書くことはまれでしょう。なぜなから、プラクティスはそのプロジェクトマネージャの財産ですから。そして、俗人化してそのプロジェクトマネージャの奥底に収納されるんですね。
と考えているので、プロジェクトの完了報告書を書くことは、そのプロジェクトの関係者でしか経験できなかったことを追体験できるように記録するもので、それをしないと組織としてのプラクティスが集積しないための組織としてのプロジェクトマネジメントの成熟や後進育成のネタが得られない、ということのなるのですね。
プロジェクト完了報告では何を書けばいいのか
では、そのプロジェクト完了報告には何を書けばいいのでしょうか。端的に、突き放すように言えば、その報告の中で何をナレッジとして欲しいのか、何を再利用したいのか、に依ります、と言う回答になってしまうんですね。だって、組織の目標、目的で必要とするパーツがほしい仕訳ですから。で、プロジェクトでの経験値を可視化できるように報告の中で表現してもらうことになるんですけど。
良く出来ました◎はいらない
プロジェクトの完了報告を見ていてありがちなのは、「プロジェクトマネージャは、メンバはがんばりました!」系の報告書です。確かに頑張ったのは頑張ったのでしょうけれど、それはマネージャに伝えて評価をしてもらえばいいのです。少なくとも、ワタシは頑張っても頑張らなくてもどっちでもよくて、結果がついてくればいいです。
で、教えて欲しいのはどうして上手にできたのか、という観点でいろいろな視点から何をしたのか教えて欲しいのです。進捗が思わしくなくなったときに体制を強化したのなら
「どこを何を思って強化ポイントとしたのか」
とか。ここは、プロジェクトマネージャの感性の部分に大きく依存するところです。価値判断の判断基準なので、判断に至る思想を背景を知りたくなるわけです。それを明示的な表現として残すことで実体験したプロジェクトマネージャではなくても気づきを得られるかもしれないからです。
あと、プロジェクトマネージャの判断基準を聞き始めると、時系列にプロジェクトマネージャが試行錯誤をしているところもわかったります。その試行錯誤をするという行為に直接実体験をすることができない他のプロジェクトマネージャやエンジニアが思考のロジックのログから自らの思考ロジックに影響を与えられる可能性を持っているからという側面もあります。