キビシイ仕事をしないとヌルエンジニアになってしまう


人は自分が関心を持つもの同士で繋がりを必要とする場合、その場所がすでにあり、居続けようとするならその場の雰囲気に馴染もうとするものです。それは、自分自身が関心を持っていることをその場から受益したいと思っているからであり、得るものがなければその場から離脱するでしょう。そうした行動が趣味のようなものであれば参加離脱の判断は自分の価値基準に沿って裁可すれば良いのです。ところが、仕事にかかわることになると忽ち不具合が生じます。


誰と言わず、人は特異な人でなければ社会性が作用して場に染まろうとするし、場が染まるように促します。新しい人がくれば場の雰囲気を素人印、そうするといつの間にか場が持つ特性を持つメンバが一人「一ちょあがりー!」と出来上がることになります。


これをエンジニアに置き換えると、使えないヌルエンジニアばかりが増殖することになるのです。


場が人を育てるなら場の技術レベル以上のエンジニアは育たない
繰り返しますが、人は場に染まります。天才を除いて。天才は、場の雰囲気を読まないですから。とすると、一般の、普通のエンジニアが初めて場にデビューしようとすれば誰だって場にある暗黙のシステムを理解しようとするし、場にいる人も暗黙のシステムの中で秩序を保っているからその秩序を新しい人に暗黙で強要することになるわけです。


場が人を染めるのは立ち振る舞いばかりではなく、エンジニアならエンジニアのコアの技術の習得にまで直接影響を及ぼしてくるものです。それは、日々の立ち振る舞いで暗黙に規制されるという土台があるからです。


人材を育成するミッションはマネージャが追うものですが、当のマネージャのうち、特になりたてのマネージャから相談を受けることの多いい相談ネタは、「人材が育たない。」と言うものです。で、いろいろとインタビューをすると、どうやら特定の条件下にいるエンジニアの技術レベルが期待には全く届かない、と。経験年数からいってももっと出来ていいようなものなのに、個別のアウトプットを見ていると他の技術者レベルより劣るんです、と。


それをもう少し、仕事の背景とか、顧客の技術レベルまでに広げて聞くと、どうもいろいろと「ヌルイ」ということが聞いて読み取れるんです。やっぱり、そうか、と。


すごい仕事をできるようになりたければそのレベルの仕事に触れる機会を作るしかない
人は場に馴染んでしまうのなら、ヌルイ方を選ぶのか、キビシイ方を選ぶのか、ってことになりますよね。どう考えてもエンジニアとしてすごい技術力を得たいなら、「ヌルイ方で。」は無理そうです。だって、現状がヌルイならそのヌルさが自分の常識であって、すごい技術力なんて知ることはありえないんですから。


自分からみたときのすごい技術力の定義、つまり、この場にいる人の普通の技術力は「こんなものですよ。」という、普通のレベルをどこに置くか、ということなんだと思うんです。だから、ヌルイよりキビシイ方を自分の普通に置き換えないとすごい技術力に触れたり、習得したりする機会が得られないわけで。


「いや、そんなの部下に要求するなら指示すればいいじゃないか。」と思うかもしれないけれど、今までヌルイ部下全員にキビシく仕事をする場に変えなさい、といっても早々受けれいられないでしょう。だって、今までがヌルくてそれでよかったわけですから。


本当にすごい技術を得たいとか、すごい技術を持つエンジニアを育てたいと思うなら、場をキビシイ場に変えて、リーダ自身がメンバの日々のふるまいから躾をし直すことを腹を括ってやらないと無理ゲーですから。それほど、場の雰囲気を変えることは難しいし、その場を変えるには権限を持っているひとが自ら実践してやらないと誰もついてこないんです。


あぁ、あのプロジェクトでメンバの出来高が出なくて拙いと思って立ち振る舞いから管理メッシュまで全部変えてそれでも出来高が出ないメンバはご退場を願った件のことを思い出してしまった……。