たぶん、学んだことが身につかないのはリフレクションしないから
例えば、技術とかプロジェクトマネージメントに興味を持って、ネットのブログを探したり、書店の店頭の棚の前にまで行ったとしても、実際に、自分の目で見て、自分の興味が持てるかどうかを確かめてみないと手に入れることはないし、さらに、手に入れたとしてもその本を買わせた自分が本を読まなければならなくなった自分に対して本を開くように働きかけないといけないというもう一つのハードルがあったりするので買った本がついつい積み本になっていたりするものです。
そうして、なんとか自分に働きかけてページを捲ることになっても、その読書が学びになるかどうかは、また、別の話なのです。
その前に、学びの当事者である自分が、その本を読む前はどういう姿、状態であったか、その姿から、どう変わりたいのか、どう変わらなければならないと思っているのか、どのくらい具体的に学ぶかを意識しておく必要があるんですね。ただ、なんとなく本を読んで、それで学びが得られればいいけれど、それは偶発というか、路地の交差点でトーストを咥えたまま衝突してくる女子高生と出会う確率と同じようなものです。学びの対象である本が合う合わないはさておき、何れにしても、意識をとどめて本を読むという行為は為すべき姿勢なのだと思うのです。
読書を読書のままで終わらせない
本を読む前の自分の姿を自分自身で描き本を読むことは、読んだ後の成りたい自分、変化を得たい自分への一歩です。読んだ後、すこしだけ変わりたい自分を具体的にイメージしないことは、折角読もうとしていても読書に掛けた時間を読書をして満足するだけで終わってしまうことを良しと判断していることになります。
なんと、もったいない。折角、のべ数日かけて読むのに、何等か関心を持って読めば自分にとってキラリと光るフレーズを見つけられたかもしれないものを見過してしまうのですから。
娯楽で楽しむならまだしも、学びの目的があるなら、やっぱり、学ぶために少しだけ関心を持ってページを捲りたい。例え、300ページの本から1つだけしか関心事を得られなかったとしても、関心を持っていたから1つ見つけられたとみることもできるわけで。
リフレクションしよう
リフレクションには様々な意味がありますが、
reflection【名詞】
1a【不可算名詞】 (光・熱などの)反射; (音などの)反響.
b【可算名詞】 (鏡などの)映像,(水などに映った)影.
c【可算名詞】 よく似た人[言行,思想] 〔of〕.
2【可算名詞】 (状況・事情などの)反映,投影,影響 〔of〕.
3a【不可算名詞】 熟考,内省,黙想; 反省,再考; 回想.
b【可算名詞】 [しばしば複数形で] (熟考して得た)感想,意見,考え 〔on,upon〕.
4【可算名詞】 非難,とがめだて; 不名誉(のたね), 不面目(となるもの) 〔on,upon〕.
学びでのリフレクションは「熟考・内省・反省」の意に当たります。読書なら本を読みながら、仕事の経験なら仕事の区切りごとのように、得たいと思っていたものを得られたか、思っていたように出来たか、十分な時間を取りふりかえりをすることが必要なのです。
十分な時間を取り、ふるかえりをするということは、読書なり、仕事なりの出来事を自分の頭の中で自分の言葉で再演するということです。そこには、体験したこととしたかったイメージとすることで自分の認識を比較することで分析をしていることになるのですね。
認識を比較して分析までたどり着くことが出来れば、そこに残るのは課題です。その課題をどうするか。課題に取り組むのであれば、一つ先のステップに進むということです。それが出来て初めて学びなのではないか、と思うです。だから、リフレクションがあるかないかが学びをとおして得るものがあるかどうか、身に付けられるかどうか、なのだと思うのです。