自分より賢い人、気づく人と仕事をしていないと仕事なんて面白いわけがない
ワタシの学生のころは平均より下の微妙な成績で、その上、余り後先を考えないで気分や思い付きで行動を取るような今から思えば黒歴史の塊のような学生だったんです。大学だってやってみたいことが出来そうな学科のあるなかで一番下の学校をたまたまパスできただけで。
大学のゼミは割と人気のあるゼミで先輩が希望者を面接して選択するくらいだったのに不思議と合格したのは今思い出してみても不思議でありません。でも、あそこからいまのエンジニア生活のスタートだったかもと思うと人生はわからないものです。たしか、先輩との面接でアドリブをしないといけないようなネタ振りをされて、面白くもないギャグを即興でできたから、なのかもしれません。
これまた普通の中堅SIerに入れて、そのSIerが勝手に合併を繰り返して数倍の規模になったら、極端に言えば周りの人がみんな賢い人ばかりだったんです。少なくても出身大学をだれともなく知る機会(そういったことをまめに聞いて?事情聴取?して回る人が居て教えてくれる)があると、旧帝大がわんさかいるし、理系が多い。ときどき、なんで?という学部卒の人もいたけれどそれはそれで多様性があって面白かった。
ワタシがそこそこ年数だけでも積み上げていくと若手が氷河期を潜り抜けて入ってくるようになって、いよいよ優秀な学生が入ってくるし、国公立なんて普通だし、理科大は犬も歩けば棒に当たるくらいだし。
兎に角、勉強の仕方を知っている人と実際に地頭が良い人ばかりなんですよ、ホント、泣きそうなくらい。
勿論、勉強ができるから地頭が良いからと言って、すべての人が仕事ができるわけではないところが不思議なところです。そうだったらもっと早く諦めるとか割り切るとか出来るんでしょうけれど。
自分より賢い人と仕事をすると
頭が良い賢い人は、まず、争わないですね。優しい人も多い。だから、ワタシが気がつないことを教えてくれるし、助けてくれる。とても助けてもらいました。
でも、仕事を任されたら自分でできないものなら「助けて!」と言うまではプレッシャうを受けながら仕事をすることになるんです。いや、当たり前なのかもしれないけれど。でも、これは「無理……。」と思ってハッキリと意思表示をすると助けてくれる。
何故かわからないけれど、いや、悔しいから?かな。はじめは助けてもらいながらやるけれど、次第に自分でやり切りたいと思うようになるんです。で、一人で出来るようになるとやっと側に近づけた気がする。気がしていただけですけど。でも、そうやって一つひとつ成果を出して、繋げることで自分の頭を使うようになったんですね。
必然と仕事で頭を使うようになるから、それなりに仕事の成果が出てくる。手に取ってわかるようになる。そうしているうちに、周りの賢い人たちでも気づかない、一見、彼らには不得手そうなところがあることに気づくようになったんです。そして、それはワタシにとって楽しいと感じることが出来る分野だった。そうした経験をとおして知ることが出来たことを体系的な知識で補完するようなると、今度は今まで自分が助けてもらうばかりだったところが助けてあげられるようになったんです。
賢い人と仕事をしたら、自分を伸ばし、自分を高め、仕事ができるようになって、自信に繋がった。
そうすると、次第に仕事が面白くなってくる。道中は山あり谷ありだけれど、でも、仕事が楽しくて面白くなってくるし、もっと!もっと!と興味を覚える範囲を自分で広げられるようになるんです。そうした環境に自分のバイアスを持っておけるようにもなってくる。
ふと、こんなことを考えてみる。現実に、普通の人もいるわけで、そうした人とも仕事をする機会はあって。じゃあ、そうした普通の人だけと仕事をしていたらどうなっていたのだろう、と。たしかに、仕事のプレッシャは下がるかもしれないです。遅れても、出来が悪くても何も言われないかもしれない。仕事もより簡単で、平坦で低減されている負荷の中で過ごせるかもしれない。そうした環境と今の環境とどちらを選ぶか、と。
答えは決まっていますけどね。面白い方を選びますよ。