課題を考えられるサイズで考えないなんて思考が堕落しているんだよ


仕事をしていて、決まった仕事なら決まったやり方で片づければいいのですが、新しいテーマの課題解決を求められたとき、その解決へのアプローチがワタシと違う考えたで進める方がいて、人の課題の捉え方はいろいろあるんだなぁ、と思うことしきりです。まぁ、それがいいのか悪いのかの話じゃなくて、そういったアプローチもあるけど、それってこういうことなんじゃね?って思うのですが。


ワタシと違う課題へのアプローチの典型は、与えられた課題をそのままの形状で解決しようとする方法です。例えば、

  • 課題そのものの大きさがわからないような漠とした課題でも、そのサイズを知ろうとしない
  • 課題の複雑さを知ろうとしない
  • 課題解決のゴールを仮置きでも置かない


こんな風な。「うそでしょー!」って思う人は、多分ワタシと似たアプローチをとっているかもしれません。ワタシは課題を考えるとき、その課題を理解しようとする際に、出来る限り課題を分解しようとします。ある課題の状況が様々な条件が絡み合っているなら、それをバラします。あっ、一番初めにするのはゴールの確認ですね。レベル感も。どこまでやればいいのか、って。


そのあと、課題自体が何者なのかを知るためにその要素?というか自分が理解できるくらいの単位に分解してみます。で、ワタシが考えられる、原因が何かを突き詰める。情報が足らなければ、情報を貰いに行ったり、探しに行ったり、と言う風に足元を固めるというか、理論武装をするというか、補強する。


で、仮置きしたゴールに近づいていればまとめに入るし、「どうも違うな」と思えば、バラして考えた課題をもとの絡み合った課題の状態に組みなおしてみるかゴールを変えた方がいいのかを考えて、場合によってはそれで調整する。


フローにするとこんな感じです。

ゴールの確認
 ↓
課題の理解
 ↓
(複雑なら)課題をバラす
 ↓
バラした課題の原因を集めて解決になるかをみる
 ↓
(バラした)課題の原因では解決のゴールにたどり着けないなら解決案を組み合わせてみる
 ↓
それでもだめならゴールを調整してみる


そこにはワタシなりに課題を理解しようと試みているわけですが、まぁ、「ワタシの頭の中での話だけどな。」ってことですけどね。他の人が考えている課題へのアプローチ方法は教えてもらわないとわからないですけど「どうやってアプローチするの?」って聞いても要領を得ないっアプローチ方法を聞くこともあるわけです。


そう言うケースに当たると、課題をとらえるための考え方に対しての違いを目の当たりにするわけですが、要領を得ない答えが返ってくる時点で、考えることを放棄しているのではないかな?なんて危険な邪推をしてみたり。そのあたりがまだまだワタシの修業が足らないことの表れなのかもしれませんけど。


でも、少なくとも課題を複雑のまま捉えるのはワタシと比べれば、余程、優れているというか、課題の把握に長けているんだなぁとただ感心するばかりですが、できれば、主導的に課題解決まで引っ張っていってほしいものです。それをしないということは、課題解決に対するアプローチを変えるとか、工夫をして頂けれないのであれば、せめて、ワタシのアプローチを踏み台にしていただければと思う所在です。


人は、考えられるサイズで考えないと課題解決何て出来やしないです。複雑なままにしておくなんて。ワタシには思考を放棄しているので惰落しているだけにしか見えないです。