仕事では自分の価値判断を持ってコトに当たらなければその仕事は自分でコントロールできなくなってしまう


人は自分がかわいい。可愛らしい、と言う意味ではなくて、自分に対して甘い判断をする、と言う意味において。


だから、仕事で自分のアウトプットに厳しいコメントをつけられればムキになって感情的に擁護し、自分が思うような進捗が出ていないときについつい下駄を履かせて実績を報告してしまう。


そんな経験はありませんか。


ワタシもご多分に漏れず、特に、前者についてはその傾向があったのですが、それはもう過去形です。以前は、例えばその指摘がチームのメンバに対する指摘のときでさえ、あたかも自分が指摘されていたように果然応酬したものです。


でも、ある時期を境にそれを止めました。何というか、応酬するようなことにカロリーを使っていられないというか、仕事なんだから「仕事が片付く方を選ぼう。」と。


それまでが、子どもだったよと言われれば、そのとおりですねぇ、としか答えられないんですが。


自分がカワイイと思う行為は、実は、副作用があるのですよね。ワタシのように応酬するのであれば、その副作用は起きないような気がしますが、自分から周りの評価を一定の幅で気にしていると、自分の行動の基準が周囲の目線に置き換わってしまいます。そのことで何を失うか。


それは、その仕事において何が一番大切なものかを自分の判断で選択することが出来なくなるのです。


それは仕事の価値を見切れないということであり、価値を計れないから優先順位を付けられないということでもあるのです。その結果、周囲から非難されないと言う基準で物事を判断していく悪循環に嵌ります。


その状態であれば、周囲が変わればそこから導き出される結果も毎回変わる。それはその仕事を主体的にしているはずの自分を振り回しているだけで、そこには自分の意思は存在しないのですよね。


ワタシの場合は、感情で応酬することは止めたけれど、ある意味感情を棚に上げて、でも、自分の価値判断をもって仕事の主導権は離さないようにしっかりと意思を持った筋書きをして、期待する結論に持ち込むことを考えるんですよ。


自分の仕事に対する価値判断は自分の価値に基づいて下す。そして、その手綱は離さない。仕事は自分のコントロール下に置かなければならないのだから。