時間の枠という感覚を持つのは難しい


とある会合があって、その会の前まではワタシがファシリテーションをしてたのですが、前の会でちょっとした冒険をしようと出席していたメンバに提案をしたのでした。


その会合では、ほぼワタシがファシリテーションをしているようなもので、自惚れも勘違いもだいぶ交じっているとは思うのですけど、


「ワタシ風味が効きすぎているのではないか」


という危惧があって、丁度、会合のテーマを切り替える時期でもあったことだし「(ファシリテータを変わってもらう!)」と思いついて、実行するに至ったのでした。


ファシリテータの仕事は導くこと
会議などで場の目的に沿って出席者の議論を導くファシリテータ、まぁ、議長でもいいのですが、そのファシリテータの役割の一つに「会議の目的に沿って出席者を誘導する」と言う責務があるのは良く知られていることです。


ファシリテータの仕事の、会議の目的に合わせて場を目的を達成するために導く他にもう一つ大切な仕事がありましてね。それが「時間の中で収集を付ける」という仕事です。時間の中で収集を付けるというと的を射た言い方になっているかどうか。議論の展開によっては全く会議の目的の地までたどり着くこともできていないこともあるだろうし、目的以上の先の地へリーチしている場合もあるかもしれませんし。でも、経験上、多くは会議の目的の場所までは全く届きもしないアンリーチャブルな状態で「今日はどうしようか?」とファシリテータ自身が困惑することの方が多いのかもしれません。


ファシリテータがファシリテータであるには、会議の目的に合わせて場の議論の先鞭をつけることが必要なのですけれど、どうもそればかりを気にしていると気づくと会議の予定していた終了時間をオーバーして次に会議室を使う人たちが入ってきた、なんて、こともすっかり日常であったりしてそれはそれで全然ファシリテーションできていないわけで。


ファシリテータであっても強い意志がないと時間の中で会議の中で得たいところまで行きつけるとは限らない、というか、絶対辿りつけないです。断言できるのは、ワタシがそうだったから。特に経験の少ないうちは、ついつい場の議論の流れに任せようとしてしまったり、一緒になって議論に参加しすぎてしまったり。


とは言え、agendaの時間枠でバッサリと切ることもできないこともあるわけです。でも内心は「(時間が押している……。)」とモヤモヤしながら流されそうになる……。でも、場に出てくる意見が面白いとか、声が大きい人がいるとか、変に気づかいしそうになったり、と。


目的の先を示すこと、時間(とき)を知らせること、要所でまとめること
今、ワタシが会議をファシリテーションする上で、時間の中で会議の目的を得るためにしておくことは3つあるのですね。


1つ目は会議の目的を開始時点で出席者に示すこと。当たり前ですが、こうした当たり前のことは忘れちゃうんですよね。当たり前すぎて。


2つ目が、会議にどのくらい時間を掛けられるか、今どのくらい時間が経過しているか、残りがどのくらいあるか、など時間軸の居場所を教えてあげることです。どう伝えるかは、そのときどきによりますけど。


3つ目は、時間の進行を変えたいタイミングで議論をまとめるのですね。「ここまでの話の要所は○○でしたね。」と。で、続けて「会議の目的にあるようにその要点を踏まえて……。」と議論の向き先をさらに促すのか、修正するのかゆっせ貴社にファシリテータの意思を示すわけです。


ここまでやらないと、会議は時間内に終わらないです。なにより、時間を掛けても目的に達しないから成果がない。これが一番痛いですねー。時間枠を気にしましょう。