「点」を集め続ける


新人エンジニアの研修をしたことを思い出しながら、彼/彼女らがこれから何年も何十年とエンジニアを続けるなら学びと実践の連続なのだ、と思った。


自分の子どもも進学して何年すれば新人エンジニアたちのように、なんて思いを重ねてしまうと新人エンジニアを見る目はすっかりお父さんの目になってしまう。


突然だけど、今、ワタシの前に金髪青眼ツインテールの美少女で高齢の魔女が現れて、

「新人エンジニアからやり直すことが出来る機会を与えよう。」


と言われたとしても、多分ワタシはやり直さないだろう。それが「高校生」とか「中学生」からだったらちょっと悩むかもしれないけれど。


でも、どうして新人エンジニアからやり直すことが出来る機会を選ばないのか、と言えば、それはこれまで集めてきた学びの「点」を失いたくないから。


エンジニアとして、一人の人として、これまで少ながらず、仕事の都合で、自分の興味本位で、学んできたことがある。それらは、学びの観点ではスナップショットでしかないと思うのです。


ワタシの中では一つひとつの学びは学習したタイミングで得た静止点での知なのだと思う。


特に、自分の興味本位で学んだことは、自分の関心をただただ満たすだけだから一体何の役に立つのかもわかりはしないで始めたものもあるし、大体そのようなコトは役に立つかどうかなんて考えたりしないものです。


でも、そうした一見何の役に立つのかわからないコトも、そうした関心事を持つという行為自体に意味を持つようになるんです。


それは、仕事の都合上半ば強制的に覚えなければならないことがあっても、その周りに何か自分にとって「面白い」と思えることがあるかもしれないと思いながら見渡す視点を持てるようになったことがそれ。


一つの点から他の点を手に入れる。そしてまたその周りにある点を手に入れよう。


そんなこんなで20数年もエンジニアをしていると大分「点」が溜まっていんじゃないかな。その点の集まりを失うのはちょっと耐え難さそうだ。


だって、新人エンジニアからやり直したら、その「点」がなくなっちゃうかもしれないでしょ。多分、なくなっちゃうんだ。覚えていたとしても新しいことで上書きされちゃうんだ。


だから、やり直すくらいなら自分の今持っている「点」をもう少し増やすことを続けたい。


仕事の都合で集める学びの「点」と自分の関心で集める「点」と、何も構わずに集めたい。それが今、役に立つかどうかはどうでもよいのだ。


大体、学んだことが役に立つなんて思って取り組むからがっかりするんだと思ってる。役に立ったら「ラッキー」くらいに考えていたほうがいいくらいじゃないかな。だって、それを実践するのは自分だもの。学んだ「点」の善し悪しではないんだよ。こちら側とそれを使う事象との組み合わせの問題。食べ合わせのようなものだと思えばいいのかもしれない。


今日も何かを学び、「点」を集められたらいいなぁ。


そして、新人エンジニア達も今日も何かを学び、「点」を集めてくれたらいいなぁ。