「面倒くさい」は「やらない理由」を作り始めるから気を付けて


自分の、システムエンジニアになってから「経験したプロジェクトは幾つあったか。」と訊かれたらパッとおもいだせるだろうか。多分、どんなプロジェクトだったか顧客かプロジェクト名称で思い出すのは思いのほか応えられると思う。では、その経験してきたプロジェクトの期間は思い出せるだろうか。


思いのほか、プロジェクトの名前やどんな技術を覚えたかや何があったかとかは思い出せても、プロジェクトの期間はさっと思い出せなくて、始まるまえのプロジェクが200x年だから、そのあとえっと、みたいになる。


別にソラでプロジェクト期間を言えることに何もメリットなんてないけれど、1つのプロジェクトの長短と普通に1年ごとに「歳を取る」ということが同じ期間ではないから意識が無いとプロジェクトの時間軸に流されて時間感覚がおかしくなりかねない。


50歳になってもイケてるエンジニアでいるために20代、30代の自分に伝えられるとしたら
2014年の時点で定年は65歳になるぞ。
それより前に仕事を辞めることもできるけれど、辞めたら辞めたで代わりの収入と仕事の代わりに自分の好奇心を満たすものが必要になるぞ。
加齢すればするほど、人件費は高くなるからそれに見合うアウトプットが必要になるんだぞ。
歳を取ればとるほど、自分に使える時間は少なくなってくるんだぞ。
体型を維持することは難しいんだぞ。
酒だって気が付くと飲めなくなっているんだぞ。
30歳、35歳と5年ごとに体力がナイアガラのように落ちていくぞ。
人の名前をパッと思い出せなくなるぞ。
20代、30代のころの体の感覚とは違うぞ。
何より、加齢すればするほど身体が動かなくなるぞ。
何もしていなければどうなるかわかるか。


仕事の時間軸と体の年齢の時間軸のギャップが困った考えを増長させる
人が歳を取るのは誰もが同じだけれど、仕事の、プロジェクトの時間軸は人それぞれなのは誰もがわかっていることだけれど、言われなければ気にしない程度のことだ。その程度のことなのに、意識しないから、気に掛けないから、気づいたら「1つ歳を取ったけれど『この1年で何をしてきたんだろう』と素になって落ち込んだ。」となるのだ。


今のワタシは20代の自分に伝えることが出来るなら「言語でもインフラでも何でもいいからもっと深くやっておけ。」だし、それより「プログラミングは避けるな。」かもしれない。


30代の自分に伝えられることが出来るなら「方式とかアーキテクチャをもっと勉強しておけ。」かもしれない。


どっちにも共通しているのは「もっと勉強しておけ!」だ。


「面倒くさい」が「『もっと』面倒くさい」になる
50代のベテランエンジニアを見ていると、イケている人でも動き気が緩慢に感じるようになる。体が重そうだったり、新しい考えを受け入れられなかったり、理解しようとしても四苦八苦している人が多い。中には柔軟な思考も軽い身動きが出来る人もいるけれど、まれ。


20代、30代より確実に、決定的に体は動かない。


身体が思ったように軽く動かないとどうなるかは、実際にその年齢に近づかないと実感できないけれど、それでは遅いからこのブログで疑似体験して欲しい。


コタツから動きたくない、動けないのと同じ理屈で「思ったように体が動かない」から何もかも静かにジワジワと「面倒になる」という思考に侵されていくんだ。


で、気がついたら五感が鈍っている。終いにはそれにも気づかない。


そんなエンジニアが何をアウトプットできるだろうか。何もないね。だって、持っているスキルは何十年も前に習得したオレ流の技術でしかない。自分はできると思っていても、欲しいと要求されるスキルはその程度のモノじゃない。


50歳なら28年間継続して積み上げてきた様々な技術の広さ、深さを全部、いつもでアウトプットしてくれることを「期待」されているのだ。


20歳、30歳なら「面白そう」と思ったことにも同じ自分なのに同じ自分が「やらない理由」を作り出すようになる。そして、「興味を持つけれど面倒くさい」が勝ってしまうようになるんだ。


「面倒くさい」と思ったらすでに「やらない理由を見つけよう」としていないか確認しろ。そうしないと確実にエンジニアとしての価値が相応になくなっていると思え。自分。