技術進度と学びの関係


今のエンジニアは大変なんだと思っている。思っているけど、今行かれている環境は誰もが一緒なのだからそれは仕方がないと思う。ところで何が大変なのかと言っているというと、技術の習得なのである。


あれこれと20数年前を思い出せば、まったくと言っていいほどエンジニアを取り巻く環境が違うんだもの。ワタシがシステムエンジニアとして職を得たときから20数年たった今、今ワタシが22歳だとしたらやっぱりエンジニアを選ぶのだろうか。それはわからないけれど。


仕事の仕方
他は知らないけれど、20数年前に無いもので仕事の仕方が大きく変わったものの代表は電子メール。ワタシが仕事に就いて最初の顧客がUNIXのホスト機を使っていて、それに電子メールがあることを当時の先輩が見つけて一人で遊んでいたけど、ワタシは「何それ。おいしいの?」程度だった。


何より、仕事の時間軸が今とは違ったのですよ。それこそ、何事も早くても週次、つまり1週間単位が最短なのです。それよりゆったりしていた気がする。今思えば、当時だって進捗がおかしくなれば切羽詰まってなんだかんだで大騒ぎするわけですが、なにせ週次サイクルなので全体にバッファがあるからみんなが集まれば何とかなってしまう。それで何度も助けてもらいましたけど。


そんなにバッファがあれば「いろいろ技術習得する時間がありますよね?」なんて思ってはいけない。インターネットもないのだもの。さっきの電子メールだって、UNIXのホスト機の中だけの話なのである。それもその先輩が好奇心で使っていただけ、だから。


なので、学びはマニュアルか、書籍しかない。また書籍と言っても今ほど豊富でないから。あぁ、PC系はいろいろあったかも。PC98全盛期だったから。丁度、5インチから3.5インチに切り替わるタイミングだった。ペラペラのフロッピーディスクからケースの固い小さなフロッピーに。


当時を振り返れば、技術習得なんて仕事の中で、でしか考えていなかった。だから、今があるんだけれど。今思っても、もう少しそこでいろいろと好奇心があればなー、と思う。だって、技術の進む速度は速くなかったんだから幾らでもなんでもできたろうに。


じゃあ今は。


技術の進度はものすごく速いですよね。ドッグイヤーなんて死語ですもの。それに次から次へと溢れてくる。関心を持つこと全部何て追えませんねー。仕事の仕方のサイクルは早くなりましたねー。1週間の週次のサイクルなんて長いですもの。毎日朝会をやるってことは日次なんですよね、管理の実態は。週次の長いバッファの中で調整していくのではなくて、短いスパンで確定してやれることを限定してそれを細切れにして繰り返して、再構成すると出来上がっているような感じ。変な表現だけど。


電子メールもあるし、インターネットもある。様々なコミュニケーションの媒体も用意されている。ネットも書籍も情報が溢れているし、海外の書籍も翻訳される速度も大分早いし、種類も豊富になった、気がするんですが。


では、「環境が揃ったから学ぶようになったのか。」と聞かれると「そんなkとないよ。」と答えるのだろうと思う。「好奇心があるから。」なんだよね。技術の進度が例え20数年前と同じであっても、今のワタシなら面白そうなことを見つけて何かを学んでいるのだろうと思うんです。


当たり前かもしれないけれど、技術の進度とか革新度合とかは誰もに同じように与えられるものであるから、それに学びは影響されないと思うんです。する人はするんだろうし、しない人はしないんだろうし。


ただ、媒体として接触する機会が増えれば、刷り込まれる……いやこれはマスメディアの考え方か。なら、何も違わないのか。いや、でもメディアが寡占か分散しているかで利用者のメディアのシェアに左右されるのか。そうだとすると外からの働きかけは以前より歩留まりが悪そうだ。外的要因より、いかに本人にその気になってもらうのか、そうした場に連れ込まなければならないのかもしれない。


まとまりがないけれど、結局、技術の進度にかかわらず学びたい人だけが学ぶのである。