若手エンジニアが育たないのは知らず知らずのうちに育たない環境を作っているからかもしれない

「人が育たない。」
「若手にリーダの候補がいない。」


多分、今の時代だけだけの話ではないんだろうと思う。違うのは仕事をする上での学習対象となる知識領域が増えたとか、より短い時間で習得することを求められている結果、10年、20年前のどんなに早くても1週間単位でしか仕事をしてこなかった今の40歳から50歳代の自分の経験と比較して居るからんだと思うんですよね。


現に、今の20歳代でも30歳代前半でもリーダを張れる人もいるわけだし。


ふと、「仕事は『研究』なのではないか。」と思った。何をしてそう思ったかというと、仕事ってQCDを棚に上げてしまうと自分の納得感を得るには際限がなくなってしまうことがあるから。


課題解決のために課題を設定して、解決のための手法を調べて、考えて、仮説を立てて、検証して。試行錯誤しながら仮説が実証されるのか、それても成り立たずに再度仮説を組み立てなおすのか、そうした追及を突き詰めていく行為が「研究」といってもいいのかもしれないなぁ、と。


エンジニアであれば顧客の要望を実現するために予算を貰って実現するのが仕事だから、そうした実現しなければならないために習得する技術ももちろんあるわけで、それはそれぞれのエンジニアが自分自身で行うものもあるし、経験者からスキトラと称して受けぐものもあったります。


多分に、スキトラと称して技術移転されるものは、目的と手順が明確になっているもので、そこには技術を伝える側を見よう見真似で覚えるモノはないと。


所謂、技術伝承的なものは、仕事の仕方や調査の仕方、検証の仕方、などのアウトプットを吐き出す方法のほかに、課題の発見や解決のためのプロセスの組み立てのような思考のしくみは一人ひとり違う固体であるか故に単純に移転できないということが、冒頭の人材育成の課題に繋がっているのではないか、と思っています。


なぜ、プロセスの組み立てのような思考は技術移転のように用意に行かないかは、思考を捏ね繰り回すことを技術保有者と若手が一緒にする機会がほとんどないからなのではないか、と思っているからです。


プロジェクトのシステム開発手法とそれを実現するメンバの役割分担が担当する仕事を分掌することからも、上流設計からプロジェクトに参画するリーダと途中の製造工程だけ参画する若手とではシンクロする作業は物作りだけで解題解決のプロセスの思考などは問題が起きない限り前工程で済んでしまっているからです。まぁ、実装やテスト工程で問題が起きれば問題切り分けでリーダが手腕や思考を露呈する機会もあるかもしれないけれど、かもしれないというレベルの話だし、ましてや分掌があるならリーダが問題解決をしている間に他の作業を進めて、なんてことになるのが普通でしょうし。


つまり、試行している時間を共有していないために研究をしている姿、ふるまいを見る機会が想像しているより少ないのではないか、と推察するに至るわけです。


そりゃ、観たり、聴いたりと、知らなければ気づきは得られないわけで。


改めて「研究」の意味を調べると、

けん‐きゅう〔‐キウ〕【研究】
[名](スル)物事を詳しく調べたり、深く考えたりして、事実や真理などを明らかにすること。また、その内容。「中世史を―する」「対策を―する」「―者」「―発表」


「対策を研究する」なんて、まさに課題解決にぴったりと一致しますね。そう結びつけると更新が育たないのは、知らず知らずのうちに育たちにくい環境を作っていることが現認なのかもしれません。