食事の1つも上手に作れないエンジニアの仕事が期待どおりに出来るとは思えない


プロジェクトに参加していて自分が1メンバだとするケースを考えると、任されたタスクが遅れると後続のタスクに影響が出てプロジェクトの進捗に影響を与えたり、その遅れの度合いが酷ければ進捗を回復させるために別のメンバを支援に入れたりとコスト追加を招くことが想定できるので、なかなかタスクの中で新しい試みなんてやろうと思わないかもしれません。


でも、一度覚えたやり方しかしないということは、食事に例えればいつも、毎食同じものを食べているようなものです。食事の材料や作る手順は覚えているし、出来上がりの味も大体は想像がつくものです。いつも食事を作るのに十分な時間を確保できて、同じ材料が手に入るなら。そして、同じ食事を食べたいのなら。


でもね、状況はいつも同じじゃないです。材料が足らなかったり、時間がなかったり。そうした時に同じ時間で、同じ材料で、同じメニューばかりだったとしたら、応用力も制約条件下での自分に対する限界も知らないわけでそうした条件下での結果は自分でも計り知れないんじゃないか、と思うんです。


ましてやそのような制約条件下で出来上がった料理の味なんて自分だけが受け入れるなら受けれようもあるけれど、家族でも子どもでも第三者まで提供したときの評価は想像とは別の評価結果となるかもしれないです。得に利害関係がない無垢な判断をする子どもなんかはある意味辛辣ですよ。


食事を作るには、これから作ろうとする食事のレシピを再現できるだけの「技量」、つまりスキルが必要です。それを生業にしているなら8-9回の精度で同じものを作れなければ商売にならないとよく言われます。


食事の材料も無尽蔵に掛けられるわけではありません。どちらかと言うと、資金繰りに困ったら最初に遊行費を削り、2番目に食費を削るかもしれません。その逆かも。それはバジェットを持っている人の価値判断ですね。ということで材料費もその時々で制約を受けるわけです。いつも同じ材料と言うわけにもいかないのは、その材料を買っている場合、供給者側の値付けでコストが変わるというコントロールできない制約もありますし。そうなると、いつも同じということが担保出来ないことになります。実際、消費税が上がると内容量を減らしたりしますしね。


食事を作るために掛けられる時間だって、いつも同じだけ確保できるとはいかないです。だから炊飯器にはお急ぎオートがあったりするのですが、これでも最低限の時間はかかるわけです。で、お急ぎモードだと通常モードに比べてなんとなく味が落ちるような気がします。


自分のスキル、材料、時間が毎回違う食事を作る行為は、プロジェクトでタスクを担う行為にそっくりだと思いませんか。そして、プロジェクトで新しい言語を覚えることになったり、新しいシステム開発手法を慣れないといけなくなったりすることが、新しい食事のレシピをつくことと同じように思えます。


その上、アウトプットの状態と食事として出来上がる料理の味は依頼側がが作る前に想像していたものと違うものを作ってしまったり、その味の評価もさんざんだったりすると、それはそれで随分堪えます。食事のときは特にね、だって、お財布は自分だから。そして、面前のアレな味付けの料理をどうするか判断しなければならないし。


でも、でも、料理はいつも失敗するわけではないし、スキルだって向上するものです。そして、出来上がる料理がおいしいと言ってもらえたら、それはとてもうれしいですよね。


何より、食事を作る行為を楽しめればそれはそれだけで十分価値があることですし。


と、言うことでエンジニアは料理を1つ覚えることからはじめましょう。