「転んでもただでは起きない」より「転んでも上手に立ち上がる」人になりたい


「転んでもただでは起きない」なんて諺がありますけど、若かりし頃を想い馳せればもう少し早いうちから「転ぶこと」をやっておけばよかったのかもしれないなぁ、なんて御猪口を傾けながら思ったりするのが秋の夜長には少しだけ趣があっていいのかも、なんて。


10年ぶりくらいにPMBOKの最新情報を更新しようかと思ってPMIのサイトからダウンロードして、−−ああ、そう会員はお好きな言語のPMBOKをダウンロードできるんですよ−−、パラパラと捲っていたら、今までそれなりに調べた上で解釈、分類していたことが「PMBOKでは違うのかー!」と認識を改めたり、よくよく考えれば「機能別で分類しているだけじゃん?」なんぞ思ってみたり。そうそう、PDF版はなんと14.8MBですよ。でかい。


HDの画面で縦方向いっぱいにして、ブラウザと並べて読んでみたんだけど何とはなく読みづらい。フォントのせいかもね。取り敢えず、dorpoboxに放り込んでどこででも読めるように仕込みだけはしっかりと。どこで読むかはねーわからんけど。


で、冒頭の「転んでもただでは起きない」ですけどね。「転んでもただでは起きない」より、「転んでも上手に立ち上がる」と言う考え方の方が大事なんじゃないか、て思うんですよね。


PMBOKで「リスクは防げ」的なこととか「コントロールせよ」と書いてあったような記憶だけが残っているのだけど書いてあった出典元のページにホイホイとたどり着けないのでそのまま放置しつつも、「それってそうだけど、そうできないから変更管理があるんじゃん?」なんて思うんですが。


言い換えれているかどうかは差し置いて、「転ぶかもね。」という認識のもともし転んだとしても「こう立ち上がろう。」とか、何も考えていないで行動するよりは、ここまでの範囲で考えるけどもし転んだら受け身を取るよ、とかマトリックスのように避けるよ、とか一度でも考えておくのがいいのかと。


でね、それって何も考えずに進んで転んだらマンホールの穴かもしれないし、空き缶が転がっているのかもしれいことを仮置きして、もしそれが起きても「痛く無いように」上手に転べ、ってことではないかと、そう思うんですよね。誰だって痛いのは嫌ですよね。ワタシも嫌です。


それで、そういう転ぶことを考えて、転んだらどうするかくらいでもいいから頭の隅に置いて行動するようなことをもう少し若いころからやっていたらそれはそれで面白かったのはないか、と。


妄想しますからね。仮定の世界の中で、ですけど。


仮定の世界で妄想して、策を考えて、実際起きたときそれができかどうかを体験して。そして、もっと上手に転ぶようになっていれば今とは違う世界観を持っていたかも知れないなぁ、と。


いや、今があってのことなんですけどね。そう考えるのも。そう考えると、なんだかんだいって、思っているよりは上手に転んで立ち上がっているのかもしれませんね。