「あいつはコミュニケーション力がない」と思ったら「あなたにコミュニケーション力がない」のです

「あの人はコミュニケーション力がないからな。」
「あいつはダメだよ。何も言ってこないもん。」
「だからあのときミスったんだよな。」
「そうそうアレがなければもっとよかったのに。」


プロジェクトが上手くいってさえいても、プロジェクトのふりかえりをすると必ず出てくる感想ではないでしょうか。不思議だよね。もちろん、プロジェクトの途中で印象深いトラブル若しくはその対処が香ばしかったりすると、こうしたふりかえりの場は「個人vs個人」の様相を呈して場の目的を失ってしまいます。


ところで、先のようなコメントがでてくるにはどういった要因があるのでしょうか。最初にワタシの立ち位置を述べておくと、

「仕事なんだから必要な意思疎通は相互でヤレ。」
「意思疎通できないのはお互いに改善を要する必要があるから。」
「がたがた言わずに自分から話せ。」
「相手が話して来たら理解だけはしろ。」


なのですよ。言いたいこと、伝えたいこと、聞きたいこと、確認したいことを持ち合わせているなら、「相手に通じるように相手のプロトコルに合わせなさい」、ってことです。もちろん、それを聞く側だって、「相手がコネクション張ってきたら受信モードでプロトコルを合わせなさい」ってもんです。


たまに気が向いたときに、「じゃあ、そのコミュニケーション力の無い人はいったいどんだけコミュニケーション力がないのか具体的に教えてよ。」っていうと、

「今のWBSやっているWBSとこれからのWBSを見て、自分で考えて動いて欲しい。」


とかですもん。それって、コミュニケーション力を期待する側は「何もしない」けど、相手には「こちらの期待することをやって欲しい」というなんとも身勝手な言い分じゃないですか。


アホか。


そんなの全然コミュニケーション力関係ないじゃん。自分でWBSを見て、先を想定して動くのは当然期待するかもしれないけれど、そんな都合よく動いていてくれる人なんて半分もいないって。言い換えれば、気が利くヤツっていうのでしょ。確かにまだ絶滅していないのでいるとおもうけどさぁ。


そうじゃなくて、「あいつはコミュニケーション力がない」と言う人に限って、そういうことを言う人が何もしなくていい上げ膳据え膳でやらせてくれ、って言っているだけじゃないのかな。


ちょっと脱線するんですけどね、こういったことがふりかえりで出てくると個人vs個人になるので荒れるし生産的でなくなるんです。そんなのならやらない方がいいし、それをやりたいならそうした主旨のタイトルをつけた会にした方がいいです。ふりかえりをするならコト、にフォーカスすることがコツです。


さて、あいつにはコミュニケーション力がないという人はほぼづぼらな人なのだとわかっていただけたのではないかと思うのですがいかがでしたでしょうか。


人なんて面倒くさい生き物なんだから、そんな自分に都合よくコトが進むわけないんです。だって、みんなそれぞれ勝手に頭の中で個別最適化を考えて動いているんですから。だったら、なんで期待する側の人の都合に合わせて勝手に動いてくれると思っちゃうんでしょうか。ないですよ、そんなの。


結婚したからと言って、愛していると言わなくてよくなるわけじゃないです。彼女になってくれたからと言って、好きと言わなくていいわけじゃないのです。


こちらから、伝え続けないといけないのです。
あら、話の結末が変わった、かしらん。