その気になるっていう一歩自体が「チャレンジ」なんですけど


今年の流行語大賞になりそうな「チャレンジ」なタスクを抱えているんですが、それがちょっと壮大な世界観の気配をかもし出してきたのでちょっとこの展開を「どう畳んでいこうかな」と半分自分が苦笑している今日この頃ですが、みなさんはどうお過ごしでしょうか。


みなさんの「チャレンジ」な目標の進捗はどうでしょうか。この時期、自分の目標なんてすっかり忘れているか、目標設定のときから棚に上げて埃を被ったままになっているのでは。まぁ、あなたの目標ですから、あなた自身がその気になってくれないと進捗しないんですけどね。


先の壮大な世界観を持ちそうな「チャレンジ」な目標は、ときどき書いている育成に関することなのですが。


ところで、みなさんはなりたい目標のキャリアがあって、それになるには今の自分を変えないといけないとしたら「自分から変わりたい」と思いますか。それとも「誰かに変えてほしい」と思いますか。

Q)今の自分を変えないといけないとしたら…
A1)自分から変わりたい
A2)誰かに変えてほしい


圧倒的に、前者だと思うんですがどうでしょうか。ワタシは誰かにワタシを変えられたくないですね。(キッパリ 誰かの何か感じるものに自分が自分の解釈をして自分自身に取り込むなら、これまでもやってきたし、これからも続けていくでしょう。


でも、後者はないかなぁ。まったくないですねぇ。


じゃあ、逆の質問をしますのでどっちかを選んでください。

Q)部下にキャリアアップをしてもらわないといけないとしたら…
A1)部下が変わるように指導する
A2)部下が自ら変わるのを待つ


現実の世界を見ているとA1を選択するのが大半ではないかと思うんです。あれこれ口を出す。俺はこうやってきたんだ、お前も奏しろ、的な。よく見かける光景じゃないですか。


そうした光景も、いくら言ってもキャリアアップの兆しがないといつも間にか根負けしてA2に遷移するんです。「あいつに言っても無駄だ」と。


自分が部下に言うと部下が変わると思っている。でもね、そういう人って自分のことを誰かに変えてほしいなんてこれっぽちも思っていないんですよ。


そう、矛盾していることをやっているんですよね。


その矛盾したことにならにようにするには、変われるための環境と機会を作らないといけないんですよ。そのためには、具体的なイメージを見せること、もしくは、何らかの経験を繰り返し得られる時間を作ることだと思うんです。


自分からその気になってもらうか、誰かに背中を押させるか。でもその気になるっていう一歩自体が「チャレンジ」なんですけどねぇ。