言葉や語彙が少ない人は、ビジネスの縮小しか選択肢を得られない
ワタシのブログでは、本を読もう、本を読もう、と書いています。
その理由は、システムエンジニアとして必要な知をすべてを自分で経験して自分の知識に変え、取り込むことが現実的でないからです。
自分の中に取り込む知は、経験しなければ自分のものではないと思っています。さらにその知は自分の思考で組み立て直し、消化した上で自分で使い込むことで初めて身につくのです。
ですから、すべてを経験できないなら経験した人の形式知として表現されている本を読むことで取り込もう、といっているのです。
ワタシは、自分で取り込むプロセスを経ないと身につかない、知へ昇華しないと思うのです。
知は、知らない、使ったことがないことは自分の行いとして振舞うことができません。同じように、自分の口から紡ぎ出す言葉も、知らない言葉は自分の知の一部として持っていなければ、自分の口から奏でる、発することはできません。
もし、本を読まなければどうなるでしょうか。
会話や書物として使った言葉だけが使えるのですから、今までの読む機会から得た言葉の中で使ったことがある言葉だけしか使えないということになります。
システムエンジニアが本を積極的に読むことをしなければ、何が起きるか。自分で使ったことがある言葉だけでしか仕様を検討して伝えることができず、設計書に書くことができなくなります。
言葉の少なさ、語彙の少なさは、言葉で表現される行為だけに影響を及ぼすのでしょうか。
いいえ、言葉、語彙の少なさは、もう一つ気づきにくい行動に影響します。
それは何かというと、思考です。思考も、思考する人が持っている言葉、語彙の上で行います。考えることの対象から発想し、想い浮かべる言葉をつなぎ合わせ、自分の考えを組み立てていくとき、思い浮かべる言葉は知っている言葉だけしか選べません。
これは、思考は知っている言葉でしか考えることができないということです。言葉の少なさが思考を制限してしまう。
これはちょっとよろしくない状況を生みます。知っていることでしか、物事の判断ができないのですから、新しい技術、サービスの良し悪しを古い知の上でしか評価できない、ということです。
言葉や語彙の少ない人は、思考を自ら制限してしまうため、ビジネスに於いては事業を拡大するどころか、現状維持も難しい状況を自ら選択してしてしまう以外知らないのです。