ストレスフルなプロジェクトでも3つの観点を知ることでやり切れる


数年前のプロジェクトは外から見ていた人にとってはデスマのプロジェクトに見えていたようです。いやいや、中にいたメンバもデスマって思っていたと思います。


たしかに1ヶ月の労働時間が尋常でない期間が数ヶ月続いたところで勤怠上からセーブするように強力な指導が入りましたから。でも、ワタシはまだまだやれたんですね。どっちかというと、「えっ、まだやらせてよ。これからじゃん」みたいな。別に屈強なメンタルを持っているとか、達観した観念を持っているわけでもすーぱーエンジニアというわけでもないんですけど。


あれから大分経ちましたが、未だに「あのプロジェクトは」的な言い方をするほどネタになっています。ワタシとしては「あの業界はあんなもんだよ」と思っていたので「そのとおりだったね」くらいでしたけど。予備知識というか過去の経験があるのって大きいですね。


そんな「デスマ」なプロジェクトが何で平気な顔をしてやっていられたか、ちょっと考えてみました。


仕事に意味を持たせる
プロジェクトの仕事はお客さまの実現したい要件を成果物として作る作業です。なので、全ての作業に意味があります。でも、ひとつ一つ作業にどんな意味を持っているかを知るためには、今担当している仕事で何を作っているかを知らなければなりません。いや、知ろうとしなけれないけません。


工程やWBSなどの作業計画を眺めれば前後のコンテキストで察することもできますが、作業計画を立てる側に立つほうが何倍も早くその情報を手にれられるし、意味や重みも理解できます。


仕事の意味や重みを知っていればその意味や重みに応じようと思いませんか。それが自分で作業計画を立てたら自分で作った計画を約束通りに実現したいです。


たとえ、作業計画はリーダから降ってきたとしても、その仕事の意味や重みは聞くことで理解を助けるし、それで十分な情報が得られなくても、仕事の前後のコンテキストに過去の経験を加えることで想定ができます。


仕事に意味を持たせることでその意味や重みを実現する主体者に自分を置くことができるので取り組むときの気持ちが違ってきます。


仕事の全体を把握する
ワタシは、仕事が俯瞰できないときに不安になります。何をどこまでやればいいのか、どのレベルまでやればいいのか際限のメドがつけられないからです。


これも作業計画を立てる側に立つことで自分の担当している範囲で俯瞰することができるようになります。範囲が決まることは隣接する他者とのいたフェースを持つということです。このインタフェースは仕事の壁を作るという意味ではなくて、先行後行などの関係を知るという意味です。


そうした関係を全体から俯瞰し、自分の担当する範囲の仕事への制約を知ったり、前提を考慮したりしながら担当する仕事をいかに上手くやるかを考えるんです。


こうした考え方は、自分の範疇の仕事をコントロールできるということを意味します。言い換えると裁量があるんですね。これが余裕を生みます。自分の仕事を誰かに全て振り回されないからです。こうした自分の裁量をもつことが精神面に有効なんですよね。


経験による見極め
類似の経験や過去のひどい体験があると「アレの半分くらいは大変そう」とか「あのとき程度の激務」とか将来の負荷が見極められるんですよね。


例の大変だったプロジェクトも「過去の経験よりは」と思いながらやっていたので「ある意味拍子抜け」くらいでした。「いやいや、その過去のプロジェクトはどんだけ大変だったの」とかそんな大変なプロジェクトと比較してもしょうがないと思うかもしれませんが、やっぱり現場にいる中の人としては、類似性のあるプロジェクトの経験が大切なんです。自分の1週間後、1ヶ月後、それより先の自分の状態を知っておくために。


それがいつも当たるとは思いませんが、それでも事前に予測ができることは精神面でも体力面でも大事なんですよね。


この3つの観点でわかっていると全体的に楽観的に見てられるんですよ。自分のことですけど。ここの仕事はシビヤでも全体としてどうにかやれそうと思える情報を持っていることがやり遂げられる1つの力なんです。